2010.10.17
里山アート展作家の声6

佐藤賢太郎  様

見えない作品、見えにくい存在について

田圃にドローイングした籾殻が、そのまま肥料になる!

「有用性のアート」を標榜する社会芸術の見地から見ても、

今期、最上級の方向性を見出せます。

素晴らしいアースワークだと思います。

来年は田圃一面に展開したい、否、会場の隅々まで展開され、

青白い靄に包み込まれた会場に、参加作家の作品が浮かび上がる。

そんな光景を想像してしまいます。

きっと、初日に夢舞台祭り参加した人たち(住民と作家、実行委員)を

含めて設営(ドローイング)に参加していただき、

賢太郎さんが点火する(アートパフォーマンス・ワークショップ)。

そして会期中、燃え続ける・・・決意の狼煙です。

 

この作品の中に、賢太郎さんの哲学が集約されているように吉田には感

じられます。

 

 

先日のオープニングの宴席で、

御沓さんや大塚さんと「見えない作品、見えにくい存在について」の話

題で盛り上がりました。

昨年は大きく作品展開させていただいたので、今年は極力姿を見せない

作品展開しましたと話しましたら。

彼等が言うには、

吉田が橋の上から木灰を蒔いても目撃者は少数。来年はアナウンスする

から大々的にせよ(大塚)。

また、ある理想(佐藤賢太郎とコスモ夢舞台)に向かって突き進む上

で、見えない存在であることを誇りに思う(御沓)。

とのことでした。

おかしかったのは、吉田が穴掘り(溝掘り)する姿を見て、

これまで口先だけの人と思っていたが、意外に忍耐があると皮肉の一言

には爆笑でした。

 

その場で、ひとつの合意に至ったことがあります。

田圃夢舞台と里山アート展を融合させる一手段として、

田圃夢舞台のプログラムにアートパフォーマンス・ワークショップを入

れ、大塚さんのアナウンスでに触れる案です。

吉田の「花咲き爺さん」もよいですが、

前述の「籾殻アースワーク」は、如何なものでしょうか。

チョットしたことで、見えにくいことが見えてくるように思います。

                    吉田富久一