2013.11.15
作品撤去で語る
佐藤賢太郎

 作品撤去に博進堂の社員が3人、冷たい雨の中やってきた。撤去が終わり、私と和彩館で話をしました。社員の一人が「私たちの作品に、どのような感想をもったか教えてください」と言いました。

「そのように素直に質問することはいいですね」と私は言った。

 自然の中では原色のような色彩はインパクトがあると思う。聞けば、会社でイベントを行い、短冊に願いを書き込んだ和紙をペットボトルに入れて作ってみたそうです。私が想うには、願いを訴えるような表現する作品になっていないと思う。なぜなら、その意図の文字が全然見えない。書いてあることも見えない作品であった。するとある社員は「字が見えなくてもいいのです」と言いました。私は「作品を作ると言うことは、どこに視点を当てて作品を作るかが大切だと思う」と言った。色彩や造形を見せることを焦点にするなら、それはそれでもいいが、私は「願いを書いた文字をペットボトルに入れたと言うことにこだわりたいならば、もっと大きい文字、そして道端にそって作品を並べるなど考えたほうがいいと思う」そのように話しました。

  願いの意思をはっきり表現しているのが、たいむIL(障害者の方々)の作品『手形』ではないかと思う。集団で作品を作ることは難しい、誰が責任をとるのか全然わからない。曖昧である。みんな平等となると、ほとんど個性など現れないつまらないものになってしまう。

例えば安部さんと大野さんの共同作品『繭』は、作家と職人がうまく協力した成功例だと思う。作家の安部さんがいないとあの造形発想はできない。しかし、作家だけではとてもあんな作品を作れない。職人がいてできたものです。

 10人で作るなら、このようなパターンでないとうまく行かない。だったら10人で一つの作品を作るより、作品を分けて作る方が良いと思う。ミケランジェロは全体を指導して、多くの職人が作ったのではないか。女性作家間地紀以子さんはたった一人で、自分の意志で大きい作品を作っている。設置とか組み立てはほかの方の協力をいただいいている。このようなことも、博進堂の方に話をしました。

 作品を作る社員は「普段は平面の仕事をしているが、立体は初めてである」と言いました。しかし、その経験がとても新しい発想を見出すことになるのではないか。そこに、博進堂の社員が里山アート展に参加する意義もあると思う。常に同じところにいては、新しい発想は生まれにくいからです。

 搬出の際に、こんな話ができたことはとても有意義であった。社員が何も語らず撤去して帰ったら、私も考えなかったかもしれない。

 自分の作品をどう思われましたかと質問する方は少ないが、今回はとてもよかったと思う。

次回から印象に残った作品を聞いてみようと思った。