2017.11.06
桃源の小径の復活
佐藤賢太郎 

かつて「桃源の小径」と命名して理想を描いていたことがある。それは、阿賀野川の景観を愛でる散歩道として、会員と草刈りをしたところであった。しかし、やることが年々多くなり、小径はほったらかしになってしまい、歳月が流れていた。 

ところがこの度、新潟の草刈り功労者が、奇特なことに桃源の小径の草刈りをしてくれることになった。今や会員の誰もが手を出せない年齢になってしまった。私ですら手を出そうとしていない。ほかにやることがたくさんあって、手が回らない状態であります。 

桃源の小径はそもそも小さな細い赤道であった。私が郷里に戻ったころには船渡大橋ができていて、すでに誰も通らくなっていた。  

私が小さいころ、船渡大橋はなかった。田んぼや、お墓に行くにはこの細い赤道を使っていた。これも時の流れであった。 

ところで、里山アート展の作品「The  waterside」を作ったことがきっかけで、景観をより良くしていこうと、阿賀野川が見えるように、次々と川辺の枝を切り払っていった。その先が桃源の小径に繋がったというわけです。そして、新潟から毎日通って草刈りをしてくださる方がいて桃源の小径が復活しました。

何が豊かな贅沢と言って、ゴルフファンには申し訳ありませんが、今の私の趣味はゴルフではなく、阿賀野川の景観を眺めることです。 

贅沢な高貴な遊びをしています。しかしこれには、きつい労働が伴うのです。

孔子は「70にして心の欲するところにしたがって矩(のり)を超えず」と言ったそうです。私はとても、そのような心境になれませんが、彫刻もせず、理想郷の景観つくりに励んでいます。それに共感してくださる方が草刈をしてくださるのだと勝手に思っています。里山アート展が終了しても私の仕事は続いています。