2010.08.10
暑い日の制作
佐藤賢太郎   

   例年にない猛暑の夏、炎天下の石舞台作りは40年前青春時代の大学ラグビー部の合宿をふと思い出した。   
   あの時はつらかった。合宿の3日くらいから疲労が溜まりはじめピークとなった。野辺山信州大学のグランドで炎天下のダッシュは死ぬ思いであった。午後は特につらかった。言葉にこそ出さないがあいつには負けられないと、みんなつらかったが歯を食いしばった。無言のうちに人間の順位、序列が決まってくる。まるでサル山のようだ。そのときは、理屈抜きにタフで足が速いことが価値ある人間であった。

   さて、石舞台つくりは大野さんと私の合宿のようなものになった。
勿論仲間がいなくては不可能なことである。昨日は村から助っ人が2人いて助かった。しかし、今日は太陽のぎらぎら照り付ける早朝から本当に2人きり。大野さんは「やらなければ何も進まない」と言いながら取り掛かる。大野さんは、一人で水を汲んでセメントを練って運んでいる。私は石を動かし、かつフォークリフトのオペレーター。時折、私がセメントを運ぶ。大野さんは少し目が引っ込んできたようである。

   大野さんは「年をとって、しかも暑い夏のせいかもしれないが、コスモ夢舞台建設14年の中で一番厳しいときだ。この作業を業者に委託したら、石を提供しても100万円では出来ないだろう」と言っていた。「第一、二人でこれをやろうなんて考えもしないし無謀だ。仕事だったら請け負わない」とまで言っていた。水をがぶがぶ飲み、家内がスイカや飲み物を運んでくれるたびに生き返る。こんなに汗が噴出す夏はラグビーの合宿以来であろう。

   泣きごとを言いながらも完成まであと少し、本当に先が見えてきた。私達二人には、ことのほか思いで深い石舞台つくりとなった。早く完成したい思いがいっぱいである。これも今年の里山アート展にかける私の思いである。ともかく日中は厳しい、明日は朝食前に石を敷こうと話し合った。