2010.08.08
石は黙して語るだろう
佐藤賢太郎

作品・石舞台作りは猛暑の中、続いている。家内は私たちの体を気遣って、冷たい飲み物やアイスやスイカをいつものように運んでくれる。                            

大野さんにしても泣きが入っている、と私に言う。大野さんも72歳になろうとしている。歳は確かに重ねて、体力は落ちている、本当に気の毒なくらいである。お昼ご飯のとき、一足先に私はバイクで帰ってきたが大野さんはなかなか来ない。もしかして、気持ちが悪くなって倒れているのでないかと心配になった。車のクーラーで冷やしていたそうだ。                   

仕事は6時から始まった。私は朝6時の時は何もなかったのに、朝ごはんが食べられなかった。それでも仕事はしなければならない。フォークリフトやユニックを動かすのも、自分ながらどこまでやれるのかと思いながらどうにか動いていた。誰一人、塩梅が悪くてもおしまいです。                      

そんなぎりぎりの毎日、今日は村の助っ人、古山さんが手伝ってくださる日であった。朝6時から仕事が始まった。日は昇りぎらぎら太陽が照りつける、そんな中でトラブルが起こった。フォークリフトが埋まってしまい動かない、仕事も進まない。このトラブルが何度となく続き、かなり参った。              

午後、村のもう一人の方が手を貸してくださった。私はフォークリフト、ユニック車、オートバイを一人で動かし、大野さんはセメント練り、セメント運び、石敷きと一人何役もこなさなければならない。一人でも、ちょっとした手助けが本当に嬉しかった。みんな汗でぐっしょりになりながら、それでもよく倒れないで一日が終わった。

夕食は村の有志と酒を飲んだ。家内も夜には、私も限界というようくらいに作品つくりに協力、参加しています。夢実現のために申し訳ないと思う。そしてこの夢を受けてくださる大野さんに感謝いたします。一人では決して出来ない石舞台つくりです。

誰もが感動をするということはやっぱり、限界に挑戦してのことだろう。きっとこの石舞台は私たちが知らない方に黙して語るだろうと思う。私は個展そっちのけで、身体ごとぶつかって真剣勝負をしている。私の人生のなかでも、こんなことが出来るのはめったにないことである。

誰のためにでもない、自分が感動するためだ。大野さんにしてもそうであろう。早く終えたい気持ちはいっぱいだが、完成まで後二日三日は掛かりそうである。明日は朝5時から、涼しいうちに仕事をすることにした。