日出谷っ子タワー共同制作顛末記         09.12.09

                           間地紀以子

 2008年第5回里山アート展で彫刻家の佐治正大さんが 地元阿賀町立日出谷小学校の全生徒40名あまりと共同制作で「ふる里の風」・風車の木・を作った。  思い思いの風車を作る生徒達のイキイキした表情が忘れられないまま 2009年春、「一緒に作品を作りましょう」と日出谷小学校校長先生にお願いして私の新潟通いが始まった。

 4月。 小学生達とどんな作品が作りたいか、話し合いながら7月まで何回かスケッチを描いたり 見せ合ったりしながら一緒に考え、彼らの希望ののっぽの「日出谷っ子タワー」をつくることに決定した。  夏休み中は素材集め。 なかでも6mのタワーを支える6本の柱は探しぬいた結果 お隣福島県会津三島町の林業関係の方から無償で提供いただけることとなり感謝。 子供達は9月から忙しい学校行事の合間を縫って 大きなベニヤ板に自由画描き、粘土の自画像作り。 自画像が「ゴリラみたいになっちゃった」と泣きべそをかく子、髪の毛一本一本を粘土でていねいに作る子、大好きなカブトムシを大画面いっぱいに描ききった子、学校の裏山、棒折山の夕焼けを描いた子、どの子もどの子もがんばった。 一方大人たちはのっぽのタワーが子供たちが上っても倒れないよう試行錯誤を重ねつつ田んぼに安心構造のタワーを立ち上げ 子供達の力作の絵や作品を取り付けた。 小さなドアもつけてっぺんへ上る階段も取り付けた。

 里山アート展オープン直前の10月9日、スクールバスで会場にやってきた子供たちは実行委員長佐藤賢太郎さんの案内でアート展の作品を見て回り、タワーに上って高い窓から顔をのぞかせて歓声をあげ、自分たちの作品とアート展を楽しんで帰って行った。

 そしてその日の夕方、校長先生が届けてくださった感想文には 初めてであった彫刻作品に不思議な興味をひかれたこと、大きな壁画に驚いたこと、こんなものは作れないだろうと思っていたタワーが出来上がったこと、自分の作品があって誇らしかったこと、また来年も参加したいことなど、学校の授業とは違った世界にふれた素直な驚きと喜びが 自分たちの言葉で表現されていた。

 やがて1か月が過ぎ、アート展も終わり、のっぽの「日出谷っ子タワー」も撤去されて数日後、日出谷小学校主催の「里山アート展終了・感謝の会」が持たれ、佐藤実行委員長と佐治正大さんと私が招待された。 生徒の司会により1.2年生の牛乳パック工作の発表、3.4年生の「里山アート川柳と絵」の発表、5.6年生の美しい三部合唱。 その後1年生が授業で育てたさつま芋をふかしてみんなでおやつ。                    

 校長先生と佐藤実行委員長のお話の後、子供達から「ありがとうございました」の大きな声で閉会。 それはそれは暖かい心が洗われるような子供達手作りの会であった。 「ありがとう」を申し上げるのはこちらの方で、これまでの苦労が吹っ飛ぶとはまさしくこのこと。

 雨に打たれ田んぼの泥にまみれてのタワー立ち上げ作業や、ペンキ塗りや鋸使いで腱鞘炎になりそうだったことや、へとへとになりながら車を走らせた新潟―東京間など、すっかり忘れて 幸せな気持ちにさせてもらった私たち3人だった。

 作る喜びや楽しさを感じてもらいたい。 学校の授業からは外れているかもしれないけれどこんなことをしても良いんだ、こんなことも出来るんだ、というアートの広がりを、アートの親しさを 感じてもらいたいという思いから 子どもや一般の方方との共同制作を積極的に行う制作集団を、佐治正大さんを中心に6名の造形作家たちと結成して、茨城、千葉,埼玉、神奈川そして新潟県と活動を続けて10年。 ひとつの制作が終わるごとに 毎回反省はあるものの 参加して頂いた子供たちや皆さんからエネルギーをいただいてこれからもきっと、続けていくことと思う。