2012.04.06
震災地の方と語る
佐藤賢太郎

コスモ夢舞台では縄文シンポジウムを2回開催しました。その中で、2回パネラーとしておいでいただいた福島県立博物館の森幸彦さんと昨日お会いしました。会津若松でお会いしたのですが、私の訪問を大変喜んでくださいました。

石巻、東松島に行ったのですが、福島県南相馬市に実家がある森幸彦さんに今まで何の支援もできず、しかも連絡が遅くなって申し訳なく思いました。よやくお会いでき、地元では神主をなさって若松と相馬を行ったり来たり以忙しい現状など話を聞かせて頂きました。

そして、私のことやコスモ夢舞台の進展などを話しました。

南相馬市も海抜0メートのところがありその被害はひどいようです。熊本のある方が相馬においでになり、津波の片づけなどをされたそうです。その方を通し多くの方の支援をいただいてき、仮設の小さな神社寄贈に感謝していることを聞かせていただきました。

そのきっかけは、ほんの少しの人の繋がりからであった。人の繋がりがいかに大切かを思うとき、私も縁あった方とできるところでさせていただきたいと思います。

この段に及んで元の経済復興を目指すというより、「0から、死から新しいものが生まれるのではないか」など価値観をかえなければならないことや人間が踏み入ってならないこともあることをいみじくも原発は教えているのでないかと私たちは話し合った。

そして森さんは、大津波で何もなくなった場所に立ち、人が拠り所になる社殿がシンボルとして大切であるとおっしやいました。またミクロの世界、魂の動きなどの話も聞かせていただきました。生まれ、死ぬ、また生まれる。その仕組みの見えない世界があって、私たちは生かされているようです。それを、縄文人はキャッチする動物的感があったのだろうと思う。

大震災、大洪水、大雪、春が来ない。これでもかというほど私たち人間に警報サインを送っています。明るい、笑いは大切だが、今のテレビ番組はそれに応えているだろうか、そんなことも語り合いました。本当の笑いが必要とされていると感じます。

こうした震災にあって、経済の活性は必要ですが、それはほどほどにして、むしろ縄文人の生き方に学ぶべきことが多くあるのでないか、私はそんなことを問いかけました。縄文シンポジウムでお世話になった森さんですが、時間が取れましたらフォーラム「震災後どうして生きるか」を語り合いたいと思いました。

競争社会から共生社会、自然の法則に従って生きるとはどういうことなのか。そうしたことを皆さんと考えたいと思います。

そして、「神に感謝して生きる」という精神はどのようにして生まれるのかも、皆さんと一緒に森幸彦さんと語り合いたいと思います。