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2009.06.27

佐藤賢太郎との対談

「作品との出会いから」(大島和子)    和彩館にて

大島さんとの出会いは、ギャラリーマスガさんでの個展のときでした。そのとき、「3兄弟」と名付けた犬の作品がとても気に入って、お金をためて買い求めたいと画廊主の増賀さんに言ったそうです。その作品はなんとお墓に飾られました。そして、ふくろう会に興味をもたれ会員となられました。               

作品へ寄せる想い         

佐藤 大島さん、あの時よく私の作品を買ってくださいました。私など高価で買うことができません。失礼ながら余裕があるとはおもえないのに、お金を貯めて買ってくださいました。どんな想いでしたか。

大島  私は、子供を亡くし夫を失い、ひとりで生きていこうと30代後半に専門学校に通い、資格をとり福祉職につきました。そんな時に、ふと立ち寄ったギャラリーマスガで賢太郎さんの作品に出会いました。
   もう、いてもたってもいられないほど感動して、2週間の会期中に、ほとんど毎日のように作品に会うために出掛けたのを覚えています。
   そして、いろいろな人に声をかけて観にきてもらいました。私があまりにも作品に魅了されているので、友達にあきれられるほどでした。3兄弟の前で立ち止まり、見入ったりしていると、「三匹まとめて買っちゃいな」と言われるほどでした。
   賢太郎さんのおっしゃる通り、余裕があるわけではなかったのですが、ちょうどお墓をたてようと思っていた時でしたので求めることにしました。それというのも、亡くなった子供のお骨をお寺に預かってもらっていたからです。

佐藤 人生でつらいことに出会い、そのとき私ごとき者の作品で癒してもらえたと言う方に出会うことは、作家にとってとってもありがたいことです。
   はじめての個展のときです。自分の家が火災に見舞われて住むところも不自由な方に、「この作品によって癒されます。家が建ったとき買い求めますのでそれまで預かってください」と言われたことがあります。   
   振り返ると、それも作家になる動機の一つになりました。

大島 本当に先生の作品は癒されるのです。どうして、石なのにあんなに柔らかくやさしいのでしょう。いつも不思議に思っています。
   賢太郎さんから、女性は太陽のような存在かもしれないと、‘太陽の頌’という金のペンダントを頂きました。見るとちょうど私がひとりで歩きはじめた1996年作のものでした。女性を大事に輝かせてくれる賢太郎さんは素晴らしいです。
   ふくろう会でも女性は脇役のように見えるけれども実はそんなことはなくて、大事ななくてはならない存在として認めていらっしゃるのです。とても自信が持てて明るく生きられるようになりました。

またふくろう会の作業に参加している時、賢太郎さんの大切な、‘思惟像’を頂いたこと。毎日作品に触れている中でもっと多くの人に見て欲しいとの思いが大きくなりました。

会員になった動機

佐藤 ところで大島さんは自分の友達を連れてきて、ふくろう会の仲間と宴会にでられました。そのとき、会員になりたいと言いましたね。どうしてですか。

大島 ちょうど祖父母の住んでいた築100年たった古民家を利用して、癒しの場を作ろうと食事をしたり遊んだりしていました。ただ癒されればそれでいい、目的はもたずにやっていこうとはじめたものでした。
   でも、ふくろう会の仲間たちのことを知り、私たちも、こんな風にできたらいいなと、そんな思いからでした。

美術館開設の夢

佐藤 いつの日でしたか、自分の古い家を改装して美術館を開きたいと言っていました。あれから何年たったでしょうか、あなたもいろいろなことがあって、もうその夢を捨てたと思っていました。
   それがこの度、美術館開設準備として私の作品展を企画してくださいました。どうしてですか。

大島 美術館開設準備に至った気持ちですが、  最大の理由は、賢太郎さんの作品を愛する気持ちが10年たっても変わらないこと、それどころかますます好きになっていくこと、一人でも多くの人に作品に触れて欲しいことです。
   そしてその先には、同じように感動できる豊実の地に仲間がいることに生きていくことの素晴らしさを身体中で感じることができま。

  今、癒しの場を必要としている人がたくさんいます。賢太郎さんの作品に触れたその時から癒される人が数多くいることでしょう。
   私は郡山の地に癒しの場所をどうしても作りたい。誰でも立ち寄ることができるところです。
   そして、強い気持ちにさせてくださったのが賢太郎さんとコスモ夢舞台の仲間達です。賢太郎さんの作品に触れた時のあのやわらかさ、優しさは何なのでしょう。いつも不思議な気持ちになります。
   毎朝、作品に触れ挨拶して私の1日は始まるのです。また私は小学校2年〜6年までを蓮田で過ごしました。とても懐かしくて、蓮田で作品が生まれていると思うとなおいっそう惹かれていきました。

佐藤 大変ありがたい言葉を頂き過ぎて、恐れ多い思いになり、感謝ばかりしてはいられません。そんな大島さんを裏切ったら恐ろしいことになりそうです。いい加減は絶対に許されないでしょうから両刃の剣と言う怖さを感じます。

それにここまで言っていただくと、私も美術館改装に郡山まで通わなければなりません。ある材料で作ればいいのです。大島さんのところには竹が一杯あります、それを使って内装をすれば面白い空間になります。建物そのものをアートにしようじゃありませんか。

コスモ夢舞台について

佐藤 ふくろう会も飲み会からはじまって、コスモ夢舞台へと変化してきました。どのように感じていますか。

大島 大自然を、小動物を愛で、人間交流を大切にしているのが素晴らしいです。縄文時代に夢を馳せ、次々と思いを形にしていく。言葉通りになっていくのに驚き、感動しながらみてきました。
   まさに桃源郷になっているのです。ゆったりと流れる川、どっしり構えた山、時が止まってしまったようなこの空間はまるで別世界のようです。作品にそういうものを感じます。作品イコール、コスモ夢舞台というそこに愉しさを感じます。

佐藤 コスモ夢舞台をそのように感じてくださることに、心から嬉しく思います。年とともに夢が消えてゆく方がほとんどですが、大島さんは変わらないで夢を感じる方ですね。
   こうしたことを正面きって言える方は少ないと思います。年を重ねるにしたがって、さめた人間になってゆくのが大方だと思います。

大島 夢を語り合うのは楽しいですね。語り合ううちにどんどん大きくなり、夢が現実に近づいてきました。新しい夢が次々と生まれて、まわりには導いてくださる人がいっぱいいて、本当にありがたいことです。

佐藤 大島さんは今までの資料等を大切に保管していただき、本当に感謝しています。その純粋な気持ちで、一日も早く「和み美術館」を完成させてください、期待しています。


2006.6.13.・和彩館にて