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2009.08.14

佐藤賢太郎との対談11


「何処までも付き合える存在(桐山士郎)  
和彩館にて                                                                                                            
   桐山さんは現在、写真会社の社長として多忙な中、毎年写真撮影、印刷でコスモ夢舞台の陰の応援もしていただいてきました。
   また印象に残るのは私が彫刻の修行時代、日本橋の大同生命社ビルに鈴木政夫先生の作品設置に参りました。その折、私は師弟関係で精神的につらい思いをしておりました。
   作品設置が終わり、近くで勤務していた桐山さんに電話して日本橋で一杯のんで心のうちを聞いて頂きました。桐山さんは30年来の友として、個人的にもかけがえのない存在であります

付き合う想いは

佐藤 今日まで桐山さんとは早い段階で対談をまとめようと思いましたが実現できませんでしたが今日ようやくできました。 思い出しますと25年前より、折々に励ましていただき長い間大変お世話になってきました。私はこういう精神的な支えのある方がいてくださって夢を実現してこられました。

桐山 佐藤さんが修行中、私も日本橋に居た頃は、会社も成長期で後輩も増え、目上と後輩の間にあって不安と希望の交差する中での毎日であったように思い起こします。現実の生活維持に精一杯の中、将来像が見えない不安が大きかったのだと思います。

 佐藤さんが、安定した生活、立場をすっぽりと捨てて自分の夢に向かって生きる、そんな一途な歩み方を実現されている姿に、本人達のご苦労も知らず一種憧れのような心を抱いていたように思います。

 環境の厳しさ質は違うかも知れませんが、私も北海道の最北に近い極寒の地に育ち、高校を出るまで電気も無い山間で暮らし大勢の家族の中で育てられてきました。日々の生活の中で耐えるとか、我慢するとか自然のうちに話を聞く姿勢が少しは養われたのかも知れません。

 こうして何年も経って思い出してみると、語り合った一夜がその置かれた現状が不足とか不満とかではなく、未来に対する一途な情熱の発散だったように思いますね。

佐藤 家内は私のことを人間失格とか言います。私は「そんなに立派な性格であったらこんなことはできな」いと居直ってしまうことがあります。桐山さんは、私がこれでよいと限界や終わりを設けていない、その生き方に魅力があるといって頂きました。それはとてもありがたい言葉です。

桐山 私にとって佐藤さんを中心としての仲間たちに出会って、家庭や職場の領域を超えた人間交流が拡がったことは大きな歓びの一つです。家族や会社のために精一杯働くのは当然のことではありますが、夢舞台の創造作業に関わって共通の夢に生きる、その歓びや苦労を分かち合う生き方も又一歩一歩前進する大きな原動力になっています。

 今与えられている環境、立場を少しずつスリム化しながら、本物を目指す夢舞台創りに身体の続く限り、家族や職場に我儘をさせて貰おうと願っているところです。

なぜやれるのか

佐藤 ところでコスモ夢舞台建設が進行する中でも、なぜ自分はここに参加するのか、その回答は会員千差万別だと思いますが。今までコスモ夢舞台の作業は決して楽でありません、くたくたになって皆さん自宅に帰ります。そして翌日それぞれの仕事につかれます。それを桐山さんも十年数年続けられました。会員以外の方にはもちろん理解し難いようですが、中には会員でも解からないと言う方もいます。そのへんをお話しいただければと思います。

桐山 人は誰でも自分には無い側面を備えていると思います。だからこそ、相手の生き方により惹かれるものがあるのではないでしょうか。賢太郎さんには、本当に作家としての才能なのでしょうが、あらゆる面で次々と湧き出す創造力、行動力が満ち溢れています。そうした魅力があるから人も自然に寄って来る、そして様々な関わり方でつき合った人々も又自分では気づかない一面を引き出されているのではないかと思います。

 会社は全くの他人同士が、共に力を出し合い生活の糧を得るという共通の目的の下働いています。40数年も働いていると、様々な山坂もありました。半年の間も無く、若手社員の突然死、社長の病死と続いたときは、自分にとって大きな試練の時でした。

 自分一人のことのみに限ってみれば、この辺りでと言う線引きや妥協点を設定したく思うこともありました。何事にも、責任の無い立場はありませんが、組織の大小にかかわらず、決断・選択という場面は背中合わせに存在します。これで良かったのか、こうすべきだったか、苦い酒のほうが多かったのも現実です。

 ふと、孤独感が漂うときも、現実を離れて共に夢を共有する仲間たちと何よりも楽しく、日常を忘れ汗して身体を動かし、過去では無く未来でも無く今を充実して過ごせる、裸のお互いを出し合える大切なところそれがコスモ夢舞台の存在です。
   この舞台を通じて多くの方々と出会い触れ合うことが、私自身の活力をリセットする原点です。確かに肉体的には厳しい点があっても、それに勝る精神的な歓び解放感が高まってより元気になって帰るという、今日までそのおかげさまを沢山戴いてきました。

 そして、自分も仲間の一員として必要とされている、役に立つ存在であること、自分を活かす場のあることをとても仕合せに思っています。

これからの人生に

佐藤 今は忙しい会社経営ですが、そのうち桐山さんの技術を活かし、ゆっくり宿泊しコスモ夢舞台の写真を撮っていただきたいのですが。

人生元気でやれる時間はそんなに長くないと思います。私は新しいことに挑戦することは貴重です。作家は常にそのような姿勢でありたいと思います。私の作品はそこまでになっていませんが、教職を辞め作家に転向する、作家として活きる、コスモ夢舞台夢舞台をつくる、できるかどうか解からない挑戦でした。

   さらに今EUジャパンフェスト日本委員会の古木修治さんも現れ、私に新しい玉を投げてくれます。
   そんな様子に、ある方は私に「佐藤さん、いつ彫刻をしているのですか、あなたは彫刻家だからそれを優先すべき、そのほかは誰かに任せるべきです」とj自信ありげに言われます。
   そうしたいです、しかしそうできない現状もあります。私は損得勘定より、既成の考えより、感動することに向かって体が動く方向にしか動かないでしょう。

桐山 会社も昨年11月、創業50周年を迎えました。43年余この道一筋に歩んでこられたことは仕合せなことです。一面から見ると何と駆け足で走り抜けて来た日々であったか、そんな時間の流れの中で、今日在るコスモ夢舞台創りに参加させて頂いた時々が、私の歩んで来た足跡の中に夜空に輝く星のように刻み込まれています。

 これからの人生、後輩に今後を託しながら、少しゆっくりした時間を紡いで行きたいと願っています。そして、この夢舞台に足を留め豊実の四季の自然をゆっくりと味わい、そこに息づく人々の生活を肌で感じながら自分の目で表現していくことが出来たらと希望を膨らませています。

ビオトープコスモ夢舞台

佐藤 今までやってきたことは、ビオトープつくりなのですが、改めてビオトープつくりと名称をつけました。進展、発展には原動力になる仲間にも常に新鮮な魅力つくりが必要と思います。田んぼにメダカを見るととても安らぎを感じます。メダカ、蛍、ドジョウ、糸トンボ、イモリのすむ当然野鳥のサギがやってきます。
   そんな里山風景を見ているとき、心がゆったりしているときです。しかしゆったりと反対にその環境を作ることには汗の努力を伴います。それでもそんなビオトープを作りたいですね。桐山さんの領地としてビオトープに何を創りますか。

桐山 領地を授かって以来、何の行動も起こせず無念の思いであります。先人のご苦労の数々、魂がこもっているこの領地を形として存在感を示さなければ申し訳ないと思案中であります。早く現地に立ってイメ−ジを描きたいと思います。


和彩館