2007.09.05
8月の体験学習振り返って
A. 3人兄弟

今年はかって経験したことのない多くの体験学習の受け入れをさせていただきました。年齢は2歳から高校2年生までの受け入れとなった。私は教師を辞めて30年ぶりの教育実習のようであった。

あるお子さんに同行された母さんは関東の自宅に帰ってから、「うちの子供はカルチャーショックを受けたようだ」と知人に話されました。ほとんどの生徒はそれに近かったのだろうと思った。我が家では体験に来る方に食事のマナー、風呂の入りかた、風呂掃除、風呂焚き、朝の挨拶等の生活などはこうすると強制的にさせることにしています。

食事は一緒に頂きますといって食べます。2歳の子がその前に食べようと手を出しましたので私が「ダメ」といったらワンワン泣きました。もちろん泣いたからと言っても妥協しませんでした。朝起きて直ぐにゲームにしがみつく小学3年生にそんなことやめて散歩するようにと言うとものすごく抵抗して口も開きません。

小学2年の子には「ちゃんとしなさい、こっちに来い」と大きな声で言った。するといやいやしながら従ったのですが、直ぐ自分の泊る部屋に行ってしまい泣いていたようであった。いずれもものすごい抵抗の表情をしていた。

要するに今まで自分の家でやっている事が通させない人間にはじめてあってしまったのです。この子たちとどう4日間共にするか。仕事場に連れて行くと彼らは石に興味があって石磨きを始めました。そのときポルトガルのアーチストもいましたので彼女が石を磨いていることに興味を示しました。そこでかなり真剣にしました。 

そして風呂の薪くべもさせました。もちろんお母さんとは別行動です。そこでくべ方がうまいと褒めながら労働を続けさせました。このままうまく行くかと思うと翌日の朝の散歩はしたがらないのです。そして強制的に仕事場に連れて行き自由にしたい事をさせるのですが、私が作品つくりのため燻しをしていたらやり始めました。よくやるねと褒めながら大人は煙いからいやといって止める事はできないのだよと話した。

わがままを個性とする今の時代は間違っている、しかし抵抗するわがままを本当の個性にすればその人間は何かをさせれば物になる、しかしその個性を引き出せるかが大人の教育次第であると思った。叱るとき譲らないとき興味を示すときこのタイミングを逃さないでつなげる事が大切である。そうすれば嫌われ役になっても子供はついてくる。そうした環境を与えたら人間が変わるだろう。

家内がお別れのときまた来ると言うとこないと言っていた。それはそうだろう。思うようにならないのだから。それを幼いないときから何でも許してはいけないと思う。

この子達と付き合いを数日共にしましたが私も疲れましたが彼らに与えたものはあったと思う、それが教育でしょう。













   
B. 5人の生徒

ある中学校5人の生徒はそれなりにしっかりしていた。挨拶も教育されていて気持がよかった。薪運び道を作るために砂利ならしと労働が続いた。きつそうだがともかくひ弱そうにも遣り遂げた。そんな中風呂のまき運び薪くべをさせた。

  その中にある生徒が自分はしないで他の生徒のすることにいちいち物言う、ずーとそんなそぶりがあったので私は我慢できず初めて怒った。「馬鹿やろう、自分がしないで人に指図するな」一括して雰囲気は一変して静かになった。数人集まれば必ずすうした生徒はいるものです。


C. 中学3人娘

  朝ごはんは 食べたことがない、おしゃれは大好きだが労働は一切いやと言うような女のこであった。朝午前も午後も仕事するの?という。馬鹿やろう「お前たちは何しに来たのだ。話にならない。学校でどういわれて此処に来たのだ」と言ってしまった。勝手にして遊んでいたらと、言いたかった。こんなスタートの子こと向き合った。

体験パターンは変えなければならない。仕事場に連れて行き作品つくりの手伝いをさせた、バーナーで杉の板をあぶる。そしてブラシでみがき、稲の藁で磨く。それをさせたら面白いと興味を示した。綺麗になる事に嬉しさがあった。ともかく顔をすすで黒くして努力した姿が可愛かった。とってもいい顔だと私は言った。心の中の美しさがそこにあるからだ。外面だけ飾ろうとするのはむなしいものだと言いたかった。

さて風呂場の崖から沢に降りる事にした。きゃーきゃーしながら降りた。そして沢を歩かせたリキも一緒であった。彼女たちはとても喜んだ。リキを川渡りに抱いてやると恩を感じたのかリキはその子が「きゃー」と言うと駆けつけてくる。それが嬉しかったようである。最後に崖を登ってくるとき最後に一人一人手を差し伸べた。こうした事で私と生徒は心に繋がりが少しできてきた。谷、ここは少し危険だが人の心を開かせてくれるところだ。

夜は美術館鑑賞、テレビビデオ鑑賞、すると彼女たちはすごいと言う。その夜は楽しんで幕を閉じる事になった。楽しかったと彼女たちの声であった。ひと時でも本当の楽しさを与えられたかと思った。