2011.10.19
田んぼ夢舞台祭りと裏方
佐藤賢太郎

年も、第3回奥阿賀・田んぼ夢舞台祭りが奇跡的に雨の止んだ野外で開演された。

田んぼを背景にしてこそ、田んぼ夢舞台祭りである。雨が降れば、太鼓をはじめ、衣装を着飾った踊りもできなくなること必定である。天気予報は午後も50パーセント雨ということであったが、午後になると何と雨が上がり始めたのである。

県議会議員、町長さん、観光協会会長の挨拶に続いて、実行委員長佐藤マキ子、佐藤賢太郎が挨拶をしました。

今年は観客席にベンチを置いて好評であった。そのベンチに座り、観客はそれぞれの演技を楽しく見物した。また、販売店もすこぶる売れ行きがよく、笑顔であった。

出演者の皆さんも、例年ながらニコニコ顔をして登場。そんな中で、大変だったのが裏方の音響係りである。雨のち曇りで、午前中は室内、午後は野外にセットを移動と大変ご苦労をかけました。しかし、いやな顔一つ見せないその人柄には心から感謝いたしました。

 田んぼ祭りの演技は、例年のように子供太鼓から始まった。子供たちはいつも素晴らしいのだが、それを指導されている裏方の努力が見逃せない。裏方といえば、ベンチを出したり机を用意したり、今年も会員の方々に活躍していただいた。この方々がいなければ、田んぼ祭りは実行できません。

出演者の中では横浜から駆けつけてくださった岩佐さんがひときわ目立った。そして、民謡の早川さんの歌声も素晴らしかった。どじょうすくいの安き節は、ピンチヒッターの若者がメンバーに入って頑張って下さった。10団体がテンポよく入れ替って、見物客を飽きさせることはなかった。ひいきの方に「何々サーン」と呼ばれて、主演者も手を振るというひとコマもあった。

 カメラ係りがいないので、写真撮りやお客さんの応対に私は奔走していた。そんな様子を、EU・ジャパンフェスト日本委員会の古木修治さんは暖かく見守ってくださっていたようでありがたかった。  

2年前、あのエレルへイン少女合唱団が同じ石夢舞台で歌ってくれた日を思い出してくれただろうか。ともかく、雨が降らなかったことは一同の喜びであった。

田んぼ祭りは3時に終了し、その後地元の主演者が集まり「和彩館」で交流会があった。家内の用意した料理に皆さん大喜びで、にぎわってくださった。

   思えば、ここにも大事な裏方がいました。コスモ夢舞台は、今や食がなければ成り立たないことを実感している私です