2015.07.08

佐藤賢太郎 

6月末から、蛍が見られるようになる昨今です。昨日に続き、今日(7月7日)蛍の飛び交う里山アート展会場の田圃に行くと、チカチカと光り輝く蛍が目に入りました。今までにない数の蛍たちです。

村の方は一部の方以外、蛍をほとんど見ないようですが、蛍を復活させようと(もうあれから10年になります)した私ですので、感慨深く鑑賞します。 

蛍がなぜあらわれるのか。まず、きれいな水を流すこと、カワニナが生息できるようにすること、街灯を消すこと、田んぼは無農薬にすること。こうしたことを年月かけて積み上げることです。

蛍が出たからといって、一円の収入にもなりません。私には経済的効果は全然ありません。しかし、蛍が生息する環境に住んでいること自体とても贅沢な暮らしです。

1.田んぼに水が要らなくなっても、常に水が流れるようにする。これも努力が要ります(昔は機械化されていないため、田んぼに水をはっていた)。

2.無農薬の田圃は自分の意思があればできますが、それは大変な努力が必要です(昔は皆、無農薬の田圃であった)。

3.街灯を消すことは行政に掛け合う努力が要ります。もう一灯消してくださいとお願いしましたが、道路の安全確保のためにできないとのことでした(昔は田圃周辺に道路がなく街灯がなかった)。 

経済的収益にならないことに努力することは、理想がないと続きません。

今年も首都圏の生徒が体験旅行で我が家にもやってきます。その彼らに、蛍を見せてあげることは最高のお土産です。

生徒に理想と現実を語りたいですね。