2019.4.11
動かないものを動かす
佐藤賢太郎

 私は今こう想う。私の人生に一人の男が登場した。非のうち所はないが、ある意味ではいい加減な面がある。彼は私を活かそうとしているらしい。私もやることはやるが、綿密とはいいがたい面がある。その二人が組合せとなった。支えあっている面がある。人は一人では生きられない。共通なのは、私も彼も積極的なことである。その男は確かな夢があるかどうかわからないが、より善くあろうとしている。
この力がないと動かないのだ。言ったことに責任は取ることである。いい加減な言葉は人間関係にひびが入る。

 私は昔の思い出に浸って生きていない、今に生きている。勿論、その人に恩になったことは忘れていない。私を支援してくれる人が多いのはありがたいことだ。
私は立派な文章は書いていないが、真実のままを書くのが重要と自負している。その文章を補佐する人もいる。国際アートフェスタも私が考えた。それを申請した方もいます。
 祠つくりは本当に苦心した。ウーフの受け入れもワーキングホリデーの受け入れも私が決めている。ウウーファーの中には移住したいと言う外国の人物もいるが難しい。そのためにも努力している。
 しかし「ダメだったら帰りなさい」と私は厳しい。これも人生経験になる。何も無駄はないと感じているからだ。

 しかし何事も、家内の存在がなければできないことを思う。家内と私は二人とも学校の成績は優秀ではないが、共通する価値観がある。人の役に立つことである。家内は自分が損をしても、人に尽くすことが好きである。動ければいい、それだけである。

 私は人生の終盤に来て実に充実している。健康であり、友がいて、頭脳もよく働く、行動力があり、何でもリサイクルする知恵もある。


 




   
百聞は一見に如かず