2011.05.09
田んぼ夢舞台公園構想
佐藤賢太郎

今年もコスモ夢舞台の活動が始まった。15年前は、みんな若かった。朝3時に蓮田集合、豊実に7時30分到着。そして、ハードな作業スケジュールであった。あれから15年、私たちは年齢を重ねいろいろと変化してまいりました。

コスモ夢舞台は個人と地域の活性化からスタートし、建物からイベント、景観つくり、農、食、教育と取り組んでいます。それらはすべて、それぞれが得意とするところを発揮していただくことで進んでまいりました。それぞれ個性を持った仲間たちが、唯一、仲間とともに共有する価値観がありました。今日まで、仲間たちがバラバラにならず継続したことはなかなかできないことと自負しております。

何が難しいか。仲間が長い年月、給料をもらうわけでもなく希望や夢を持ち続け、継続することは容易ではありません。そしてそれぞれに優秀な個性があっても、それを活かし調和をとることが難しいと思います。

コスモ夢舞台は個人技能的にどんなに優れていても一人でできることなど絶対にありません。調和してこそ、それぞれに個性は輝くのです。そしてみんなでつくり上げるところにコスモ夢舞台の真髄があります。仲間はそれぞれ役割がありますが私の役割は構想や、仲間の個性を活かし、バランスをとることであります。

昨年は田んぼの畦道に石畳みを敷きました。完成には未だ程遠い作業を残しています。そして、それはビオトープつくりに繋がるものです。それがどのような意味を持つのか、必ずしも会員全体が理解しているとは言えません。

ところで震災後、経済的効率ばかりに価値を置いてもしょうがないという気分は高っています。コスモ夢舞台の作業に参加している方は少しずつ理解されていますが、先の見えない力仕事に「どうして私がしているのだろう」そんな気持ちを抱くこともあると思います。

コスモ夢舞台では、動きながら考え、ひらめいたりすることがあります。みんなと話しながら、そうだこうしようと決めることもあります。

   ビオトープづくり構想も、一杯のみながら「田んぼ夢舞台公園」の一環にしてみたらいいのではとの提言がありました。ビオトープつくりでは、限定されて分かりにくいかもしれない。そんなことから、トータルな名称にしてはどうかという話になりました。

   田んぼ夢舞台公園には、メダカや蛍が見られるビオトープ、水芭蕉や睡蓮の咲く空間、農や米つくり、アートも含まれる風景をつくります。そして、一角に物語性のある彫刻群をそこに設置する構想です。そこに石畳を敷いて、歩きたくなるような楽しい空間をつくります。そうなれば石畳がどれほど生きてくるか、そのとき現代の桃源郷は仲間や多くの方から理解されるでしょう。

   生きている時間に、生かされている時間に、このような夢をもち、行動できることは幸せなことだと思います。この実現には、仲間の結集した決意、信念、夢がなければできません。大きな石板を運ぶのも、資金の工面も必要で、各種の助成金がなければ実現しないでしょう。

   震災後のこのようなときに、無から有を生み出す、こうした取り組みを被災者の方々に見ていただくことは、われわれ会員に大きな意義があるのではないかとみんなで話し合いました。

   この田んぼ夢舞台公園を実現できたら、どんなにか素晴らしいことだろう。それは、今まで過疎地域には見ることのできなかった、都市と田舎を結ぶ全く新しいテーマパークになるでしょう。