2009.9.28                     
鳥の演劇祭見聞3
佐藤賢太郎

田舎から情報を発信することや都市と田舎の交流は大切であり、これからはそうあるべきだ、と言われるようになってきました。
   NPO鳥の劇場もそこに視点があると思いました。私は鳥の演劇祭を見聞後、コスモ夢舞台の意義や今後を考えています。

   都市との交流と言うと、一般的には都会の方が田舎に来て田植えや雪下ろしを体験しながら農家に泊まり、心身をリフレッシュさせる、そのように理解されているだろうと思います。
   私はそれを否定しませんが、もう少し違った交流のあり方を模索しています。

   例えば、里山アート展に参加する作家は都会の方が多く、自ら参加しながら贅沢な時間をいただいたと言う。富や名声を求めて参加するのではなく、参加する意義や価値を作家が自分なりに見出して参加しているのでしょう。

   作家が地元の方と会話する機会もあり、しかもある意味では異文化を持ち寄せて入ってくる。これは都市との交流である。そして田んぼ夢舞台祭りは都市と田舎の合同交流出演の場となります。それはお互いに新鮮さを覚えることにもなります。

   さらにビオトープつくり、これは自分の畑の草をとるのももてあましている地元の人ではとてもやる気にならない、ビオトープなどと流暢なことは言っていられない肉体労働なのです。
   しかし都会の人びとにとってみればそれが魅力なのです。この都市の方々の力によって田舎の原風景が実現するのです。

   最後に教育ですが、人間再生の自然教室です。生徒や一般の方まで含めた体験を受け入れています。   コスモ夢舞台には教育に携った人も多く、自分はこの分野で今後も役に立ちたいと参加している仲間もいます。ここでも都市と田舎の交流によって、夢の実現が成り立つのです。

先にも述べましたが、コスモ夢舞台の仲間のほとんどは都会に住んでいる。それではいざという時、頼りにならない趣味の会のように見えるが、そうなのだろうか。
   コスモ夢舞台のスッタフが都会の支店長と考えたらどうでしょう。それぞれがコスモ夢舞台で輝くことをやればいい。各支店には教育、アート支店、ビオトープつくり支店などなどがあります。

   このように、都市で生活していることがコスモ夢舞台を伝える役割を果たしていると思います。あるがままの姿で、やれるところからやるのです。

地域活性化につながっているかどうかという判断には、必ず行政やその他から「地元に認知されているか」「経済の活性化になっているか」といったことが問われます。
   作家は認知されているから作品を公表するのではない、前例がないことを見つけながら作品を提示する。その点、まさにコスモ夢舞台も同じではないかと思う。
   
   小さいながら続けてゆく、やがてここに、魅力を感じるファンが集まることを願っています。確かなことは、ここのところ魅力を感じて訪れてくれる人々がふえているということです。