2006.10.31
田舎で世界の人々と話そう

御沓一敏

晴天に恵まれた29日、正午より14時30分まで和彩館において、「田舎で世界の人々と話そう」が開催された。
切っ掛けは、佐藤さんがギリシャへ行き、共通語がカタコトの英語の中で、1カ月間、作品をつくるために苦労した体験から、日本に来ている外国の方々に思いを馳せ、このような会を過疎のムラ、豊実でやろうということになった。

一番の後押しをしてくださったのが、後援をいただいている西会津国際芸術村のHさんであり、阿賀町役場商工観光課のMさんである。
出席者は総勢45名の中、外国の方23名(内子供2人)に来ていただいたのは、お二人のご尽力によるところが大きい。
和彩館の仕切りを1枚外したが、収容的には満員という感じがした。

11時過ぎ、到着一番乗りは、米国や中国にも出かけている地元、津川の県立阿賀黎明高校の教頭先生と5名の生徒さんたちである。滔滔亭や縄文館、ふくろう会館をご案内したが、豊実の自然と同じようにいかにも純粋で物静かなタイプである。

まず、佐藤さんの開会の挨拶に始まる。自分の体験から「交流とは国によって、見方考え方が違うもので、お互いが認め合う精神が大切であり、この観点に立って話し合い理解しましょう」という趣旨が述べられた。

早速に、おいしい手作りの料理をいただく。ちゃんこ鍋は水原から応援に駆けつけてくださったKさんの奥様。鯉のあらいは、三川の議員Kさんの奥様が造られたというみごとなもので、まさに玄人はだしである。その他、鳥のから揚げ、古代米のおにぎり等々のご馳走が並べられたが、瞬く間になくなった。

続いて、マキ子さんのお茶のお師匠さんである地元豊実のKさん、新津から応援にお越しいただいたお二人の女性の方によって茶道が披露された。自家製の栗の渋川煮に続きいただく一服のお茶と和服姿は日本を代表する文化であり、賑やかな中にあって、静の部分として心が和む。

時間に制約のある方があり、各施設の見学は後回しにして本論の話し合いの時間に入る。
外国の方の出身地は、米国、ブラジル、中国、韓国、リトアニア、ロシアであり、、目的も医学や日本文化の勉強、英語の先生と様々であったが、日本語は流暢な方が殆どであった。
佐藤さんの方からの質問形式で進められた。

日本の印象について、新潟の自然が美しい。シャイな人が多く、友達になるのに時間がかかるが、一旦仲良くなると親切である。今日は、高校生の方から先に「ハロー」と声を掛けられてうれしかった。

自国と日本の違いについて、日本人は時間にシビアなこと。特に驚いたのは、列車の時間の正確さであり、ロシアでは考えられないこと、ショックであった。

日中、日韓、靖国、北方領土まで触れられた。韓国の男性の、「日本と韓国との関係の歴史を調べてみると仲が良かった時代の方が長く、これからは仲良くしていかなければならないし、なるでしょう」という言葉が印象的であった。

総じて言えば、政治の問題は関係ないということではないが、日本に来ている方々の思いは、日本を理解したい。仲良くしたいということに尽きると思った。

前述のおとなしい高校生に、しっかり外国の方と会話をしているとかと訊ねたら、「イエス」と元気に応えが返ってきて驚いた。普段から大きくて元気な声の佐藤さんでさえ、英語になるとさらに、ゼスチャーたっぷりに陽気になるところを見ると、どうも日本語そのものか風土の中にシャイな部分が潜んでいるのかもしれない。

終わりに近い頃、65歳で脳梗塞になりながらそれを感じさせない元気な81歳の若者と自称するHさんが立たれ、日本人も含めて倫理観をもって積極的に行動することの大切さを述べられた。

最後は舞台を動かす裏方の代表マキ子さんより、「何か物事を行うのは大変だが、開かれて見ると楽しい。ありがとうございました」の挨拶があり、一旦、お開きとなった。

この後、各施設を見ていただいた。
筆者は、縄文館担当として数人の方をご案内したが、1万年もの間、争いのなかった縄文時代を入れて語る方が歴史的にも自然で、この催しを行ったこととも相まって、世界の人々と一体になったような不思議な安堵感を味わった。

他の外国の方々と高校生たちは、限られた時間を惜しむかのように、身近な疑問を織り交ぜながら会話に熱中していた。
総花的にあれもこれもではなく、見学はまたの機会にしようと途中から切り替えてよかった。
日本に来て、このような触れ合いの時間を持つことは殆どなく、うれしかった。またの機会を楽しみにしている。といった声が多かった・

コスモ夢舞台という場にふさわしい地球村という言葉が飛び交い、みんなそれぞれが喜び、輝いているすばらしい催しであった。