2006.4.25
豊実日記「石釜とストーンサークル」

422日(土) 横浜/晴れ、豊実/曇り時々小雨

早朝6時半に家を出た。クルマで東北道を北上、那須高原SAから“11時半までには着けそうです”と賢太郎さんにケータイを入れた。“西会津インターを降りたら、タイルの目地を塗る小手を買ってきてほしい”と頼まれた。どうやら大野さんの運び込んだ大谷石で、石釜の建設作業は順調に進んでいる様子だった。しかし、「滔々亭」の床まで大谷石で敷きつめられているとは思わなかった。聞くところによると、小林さんという大谷石提供者のありがたい協力があったそうだ。

変身はそれだけではなかった。「和彩館」には外階段が架けられ、「石夢工房」にも踊り場つきの内階段が仮設されていた。急ピッチな建設作業は、賢太郎さんはもとより大野さんと御沓さんの努力によるところ大のようだ。                                                

昼食をはさんで、早々に石窯つくりに加わった。地元の古山さんも強力な助っ人だった。3段に積み上げた大谷石の上に内径60cm四方の内窯部分が載り、アールのかかった屋根がかぶさった石釜は、それだけでも重厚なオブジェに見える。向かい合わせに並んだやや小ぶりの物置台も大谷石で、「滔々亭」の入り口右手は見事なパン工房に仕上がった。ブーランジェ役渡辺美紀さんの焼く天然酵母パンが「和彩館」の新しい魅力となる日も近いようだ。

423日(日) 豊実/快晴

午前10時半過ぎ、小林達雄先生が学芸員の宮尾さんと到着された。先導車は佐藤光義さんだった。さっそく、賢太郎さんのご案内で「滔々亭」「蔵・銀河」「ふくろう会館&ギャラリー」を見学され、「悠々亭」からストーンサークルの候補地・臨時のヘリーポート場へとクルマで周回された。クルマを降りて、里山アート展会場を見下ろせる一角から細い山道を登ると、直ぐに元は畑地だという200坪近い広場にでる。噂どおり、電線の見えない四方八方は開けて、小春日和の暖かさに汗ばむほどの別世界があった。広場の裏手上にはクルマ道もあり、そこからは石材の運び下ろしも容易にできそうだ。この絶好のロケーションが、賢太郎さんの先祖の土地であることにも不思議な縁を感じてしまう。

「コスモ夢舞台」にさらなる夢を重ねることができたらと心は躍るが、はたして、今回の視察で小林達雄先生は豊実にどんな印象を抱かれただろうか。仮に実現可能だとして、この壮大なプロジェクトの構想と実行計画に、ふくろう会を母体とするコスモ夢舞台実行委員会はどのように関わり、どれほどの努力と熱意を維持していけばよいのだろうか。そしてまた、行政や地元の人々への働きかけや石材と運搬のマンパワー費用の捻出はと、問題点がつぎつぎと浮かび上がってくる。

折しも、6月の一ヶ月間、賢太郎さんはギリシャの「石彫レジデンスプログラム」に参加される。

先日、ご案内にみえたEUジャパンフェスト事務局長の古木修治さんは、“文化によって平和と地域活性に貢献するという趣旨は、コスモ夢舞台の精神に共通する”と明言されたそうだ。                  どうやら、石彫作家・佐藤賢太郎さんも、コスモ夢舞台のグランドデザインを描く我われ仲間たちも、これからのスケールアップの大きなチャンスでもあり試練でもある時を迎えたようだ。(森紘一)