2007.10.9
作品づくりの三日間
森 紘一

10月6日(土)晴れ
 朝の7時には横浜を出たが、東北道の那須高原SAから賢太郎さんに電話を入れたのは10時半過ぎだった。磐越道に入ると、クルマの数はめっきり少なくなった。刈りいれのすんだ田んぼとすすきの穂が大きく揺れる景色は、秋そのものだったが、くっきりと見えはじめた磐梯山とその周辺は、まだ紅葉にはほど遠く青々と広がっていた。

昼には、マキ子さん手打ちの蕎麦を賢太郎さん、御沓さんと味わった。デザートにいただいた自家製の栗の砂糖漬けも豊実ならではの秋の味覚だった。

 三本の丸太にチェーンで吊るしてあった大きなケヤキの根っこは、多分、樹齢150年前後の古木であるらしい。石夢工房の左手に眠り込んでいるかのように黒ずんだ代物は、あたりの風景に溶け込んで目立たなかった。
 賢太郎さんの着想は斬新で、これをチェンソーで蘇らせる、というのがわたしへの課題だった。我が家で枯れ木や伸び放題の枝落としにチェンソーを使った経験はあるものの、作品づくりとなると話は別である。テーマは「再生」、お先真っ暗の難題だった。

 夏場と違って日暮れは早くなったが、夕刻までたっぷりと時間をかけて古木にチェンソーの刃を入れまくった。徐々にくすみが取れて地肌が浮き上がり、ようやく全体に赤みが差してきた。作り物ではない本物の根っこの造形にたくましさがでてきた。
 無我夢中で作業に没頭するうちに面白くなり、かすかに見えはじめた新しい姿形にうれしくなるという不思議な体験だった。
 
 賢太郎さん、マキ子さん、御沓さんとコスモ夢舞台やふくろう会のこれからを語り合いながらの夕食後、のんびりと桃源の湯に浸りながら賢太郎さん、御沓さんと再び四方山話に花が咲いた。外は満天の星空だった。 

10月7日(日)晴れ
 朝からひき続き石夢工房で古木と取り組んだ。朝食に和彩館へ戻ると、夜行列車を乗り継いだ一番電車で森幹事長が到着した。食事をとりながら、作品の設計図が賢太郎さんから手渡された。丸太を人模様に組んだ大がかりな作品、森英夫さんのテーマは「友よ」だった。
 わたしも英夫さんもそうだが、新幹線で昼ごろ到着した大塚さんにしても、作品づくりはこの連休を利用した時間との勝負でもあった。大塚さんの作品も、エル字アングルと円形の鉄板をワイヤーで結ぶ「千手観音」という手の込んだ力作だった。
 この夏、西会津国際芸術村から賢太郎さんとの創作合宿にやってきた二人のポルトガル女性も里山アート展に出品参加することになった。賑やかなリタさんと物静かなイネスさんも昼過ぎには現われて、作品づくりを急ピッチに進めていった。
 現場で丸太を組んだ英夫さんの作品もほぼ立ち上がり、後は釘で固定すれば完成というところまでこぎつけた

 今回も、作品づくりから会場への搬入、設置まで地元のFさんやKさん、Tさんには大変お世話になった。とくに、わたしの木の根っこやイネスさんの狐と獅子、大塚さんのアングルは人手がなければとても運びきれるものではなかった。今や、地元の皆さんのご協力が大きな支えであり、里山アート展の原動力にもなっている。

 賢太郎さんの高校時代の友人、魚屋さんのTさんが会津若松から手巻きすしの新鮮なこだわりのネタを仕込んで贅沢な夕餉を用意してくださった。地元のFさんとKさん、西会津国際芸術村のリタさんとイネスさんも座った総勢11名の円卓は盛り上がった。ちょっぴり甘さを含んだコハダは、ふたりのポルトガル女性にも大人気だった。

10月8日(月・祝日)雨
 大野さんのトラックが7時前に現われたころはまだ雨は小降りだったが、昼過ぎまで止むこともなく、時折はげしい雨脚だった。そんな中、水車をメダカの池に設置した大野さんの作品の周辺は一段とひきたって見えた。
 英夫さんの作品の丸太の固定は難渋したが、賢太郎さんのアイディアで左手前の田んぼに丸太の人模様を水に映した影のように掘り込んだ溝は、これもまた見事なアート作品となった。

大塚さんの作品も、ようやく田んぼの奥手に設置し終わって、20点以上の作品が集うことになった。里山アート展の会場は、小雨にけむりながらも色とりどりの作品が楽しげに語り合っているように見えた。