2007.02.04
変わり者

  田舎ではあの人は変わり者だね。と言う言葉をよく使う。それはいい意味ではない。陰口に近い言葉であると理解している。

先日お付き合いしている、日出谷のHさんが見えられ豊実の方と話した一こまを言ってくれました。私の話題になったら、「あの人間は変っているからね。」とのことであった。そばにいたもう一人の方も相槌を打っていたと教えてくれた。村の全てがそうでないがまだそのような評価をされていることがわかった。内山さんの本を読んで村人との付き合いから学ぶことも重要な事である事もわかる。よきことも悪しきことも村人にはある。

しかし私は言いたい。変っていると判断するのは何を基準にして言うのか、それは言う人の基準である。自分が考えられない事になると、変っているとなる。学校の先生を辞めて彫刻家になった。変っている。田んぼにアート?変っている事をしている。都会の人間を連れてくる?シンポジウム?もっともっとあるだろう。それは全て変っている事をしているのは確かである。いったい何のためにしているのか、解らない。だから変っている者になる。私の母でも私を変わっていると言う。しかし他人の変っているとはニュアンスは違う。

ところで5年後には豊実も今の半分の人口になるのでないかとも思うほど高齢化が進んで、しかも長男は都会に家を建てている。田舎に魅力を作らなかったらとても近づかない。懐かしさだけでは暮らせない。ここに住む意義を発見しなかったら帰って来ない。私だって来なかっただろう。しかも理解されない人間が多いとなると、田舎も魅力はなくなり、やはり便利な都会でいることになる。誰が田舎に魅力つくりができるのか。私はいないと思う。自分の生活を守るのに手一杯だから。
  今、私は仲間とここに魅力つくりをしている。それは何もこの故郷のためにだけではない。現代人が失いかけているものを再発見するところにしたいからだ。変人がまともに扱ってもらえるには時間はかかる。村にも応援してくれる方もわずかだが、いる。頑張ってゆこう。(佐藤賢太郎)