2007.02.22
風土と気質

昨年、長野県東御市の見晴らしのよい高台に住む知人が豊実を訪れた。第一声に「わー息が詰まりそうだ」と言いました。私はこんなところにはとても住めない、そう実感のこもった言葉にしました。つまり豊実の人々は山に囲まれ鍋の底に住んでいるように見えたのでしょう。確かになべ底の地形です。空は水平には見えず、首を見上げないと見えないと表現したほうが解りやすい。太陽は朝から見えるというようなことはない。迫り来る山に囲まれているからです。

ところで私は里山アート展のテーマを「悠然と自然の摂理に学ぶ」とした。なぜ悠然としたかを説明します。このすり鉢のようなところで住んでいると、確かに狭い考えに封印されてしまう事もあると思ったからです。現に村は7人の侍の映画のような風景も見え、新しいことをする事を嫌う。日本人全体が閉鎖的な気質かもしれないが田舎ほどそういう傾向にあると思える。私はそういうことであっては人生がつまらないものにしてしまうと思っている。もっと寛大に外の人を受け入れなければ田舎のよさは発揮できないと思うからです。そして限界集落は消えてゆくだけである。村に今までやった事のないことをしているので、私を変わり者などと思う人がいるのは残念である。しかしこれは厳しい雪国に暮らし、日々の生活に追われ、なべ底生活がそのようにさせてしまったのだろう。風土が人間気質を作る面があるのだろう。ギリシャに一ヶ月滞在してみたが毎日青空、そんなところでいたら絶対に違う性格ができるものと思った。縄文人のここに住んでいたと思うがやっぱり狭い気質なのだろうか。

それはさておいて世間を広く経験する事が大切だと思う。幸い私はいろんなところで暮らしてきた。関東平野で長く暮らしていたが、夕方散歩するとき広々として開放感を感じた。しかし今豊実に帰ってきてここに住むことが狭いと感じているか。そうは思わない。茶室に入ったような、京都の枯山水に庭にいるような気持ちです。

 自然との対面がものすごい、こんなに新鮮に自然を感じたことはなかった。毎日が違う表情を見せてくれる。冬の朝焼けの山は実に美しい。インド旅行のとき飛行機から神々しいヒマヤラ山脈が眼に入った。白い雪山がオレンジ色に輝いていた。私はこの光景を思い出し豊実の水鏡の小径にそびえる荒山をヒマヤラと同じように感じる朝がある。感動する。ちょっと歩けば小高い丘に、道に着くそこからは空は水平に見える。もっと高い山に登ると全て箱庭のように見られる絶景の場所があると言う。私は見ていないがそこを仲間にも案内しようと思う。ともかくこの感動はここに滞在しなけらば対面できない。ただこのように感じるものがなければ気質はなべ底なのだろう。(佐藤賢太郎)