2011.02.25
本物と向き合う8
徹底しない失敗
佐藤賢太郎 

失敗には「良い失敗」と「悪い失敗」の2種類がある。全身全霊をかけたにもかかわらず、それでも大こけしてしまったら、それは「良い失敗」、中途半端で失敗するのは「悪い失敗」。こんな文章に出合って、これぞと納得しています。

私はまさに徹底した賭けにでました。誰に言われたわけではなく、これは自己責任の選択です。これまでも、私は悔いのない生き方をしてきたと思います。世に名を残すようなこともしておりませんが、自分の能力が10あるとしたら、10はすべて出してきたと思います。 

皆さんとここまでコスモ夢舞台を作ってきたこと、個展開催やモニュメント制作など、挫折しながらも、振り返れば作家としてあまりにも恵まれてきました。今度の企画二人展も私の希望の一つであります。

私は今まで背伸びしながら歩んできました。先述の方の言葉ですが、「徹底しないで成功したとしたら、その人の能力に比べて低いレベルで終わった証拠。それは無難にこなしただけに過ぎず、成功と言わない」。私もその通りだと思います。

ただこのことは他人にではなく、あくまでも自分に向ける言葉 でありたいものです。最近は、人はさまざまそれぞれでよいと思えるようになりました。

ところでなぜ人は徹底できないのか、それは言うまでもなく失敗を恐れるからです。さらに、先述の方は「もう一つ徹底できない理由は、失敗を予測しショックをやわらげようとすることである。失敗を予測し、力を出し惜しみしたお陰で、傷が小さくてすんだと賢いつもりでいる。かくして、マイナスの予測は強化され、当然成功は一層遠くなる」と表現しています。

例えば、コスモ夢舞台の桃源郷つくりを語っても、田舎の地域活性化などを話し合っても、ほとんど何もしないことが賢明とされることが多いと思います。その背景には、失敗することをやわらげたい感覚があるのでしょうか。

人生はそんなに長くない、と私はいつも言っています。私はいよいよ、出し惜しみはしない選択をしつつあります。積極的に生きていこうとすれば失敗もついてくる。しかし今まで、大学受験や教員試験、公募展での受賞などなど希望がすんなりと適えられなかった。彫刻家修行の時も絶望と思ったときもありました。しかし長い目で見れば失敗でなくそれは成功に繋がる肥やしでした。ことに私は、人間関係では成功していると思います。その証拠に少なくとも信頼していただける友がいることは確かです。これ以上の成功はないでしょう。

宮沢賢治の詩のように「そういうものに私はなりたい」とはいかないが、たとえうまくゆかない人との出会いでも、そこから学べばいいと考えています。

「弱いから行動ができない」否、行動しないから弱いのです。行動すれば間違いなく一つ強くなる。だから私は「動いてこそ感動はやってくる」そう書にして額に入れています。

私は、今年の冊子作りは何としても編集方針を曲げずに成し遂げます。そして、ビオトープ散策路を作ります。さらに、自然食を含めた循環再生を体現します。こうしたことを実行していくことが、今後の私の生命力を付けることになるのでしょう。

そんな私に心を寄せてくださる方々とともに、命ある限り歩み続けて行きたいと思います。