2011.02.27
本物と向き合う9
料理は創作
佐藤賢太郎

朝の食事

納豆(大根、人参、ねぎ)、サツマイモ(梅干)味噌汁、ふき、漬物、海苔、ひじき、梅干、玄米、ゴマ、大豆煮、サツマイモの皮のきんぴら

昼ごはん

リゾット(7種類の野菜が入ったオリーブで炒めた玄米)、蕎麦湯。

「食べるのは簡単、作るのは難しいの。自分で作ってみて」と家内は私に言う。確かに、肉を使わない、調味料も自分で作る、卵も使わない玄米菜食になって料理の難しさを知った。

野菜、海草だけで台所に立つと何を作ったらよいか見当がつかない。まさに料理は創作である。家内は、自然食の料理の本を3冊参考にしているが、そのとき台所にある材料でいつも創作して作っている。これは作品を作るのと同じだと思った。

 私は高級そうなグルメと言われる料理をいただいたことが何度かあったが、今では我が家の玄米菜食のほうがとても美味しくグルメだと心から思えるようになりました。私の食を見て、ストイックな生活をしていると感じる方がいるかもしれませんが、そうではありません。私は自然体で生活しているのです。60歳を越えて初めて、自然の味を感じるという体験をしました。決して強がりを言っているわけではありません。

平均寿命は75歳かどうか分かりませんが、その生涯で10年くらい自然食の生活はいいだろうと思う。私は人間として食だけでなく、心も、想念も、生活スタイルも生まれ変わるチャンスをいただいたわけで、こんなチャンスに遭遇することはそうありません。人は生涯において、人間として進歩、変革したいとは思ってもなかなかできるものではありません。

 食は命を支えるものである。このことは若い時ばかりでなく、今までそれほど真剣に考えたこともなかった。食べ物によって病気が治るなら医者は要らない、などという方も多いようである。それは知らないから、そのように短絡的に言うのであろうと思います。

現代人はどれだけ毒素の多い食を口にしているか分からない。人間も自然の一部であるならば、自然の法則にしたがって生きることが理にかなっている。その法則に従うことが体をクリーンにするのだと思える。健康はもちろん食べ物ばかりによるものではないが、例えばできるところから玄米菜食を実行し、そして見える確証を掴み、見えない世界までスッテップアップして行くことが大事であると思う。