2008.12.30
冬の景色
佐藤賢太郎

冬になって、コスモ夢舞台住人の冬の生活身辺を伝えてみようと思います。
冬になると毎年そぞろ縄文人の生き方に心が向いてゆくことです。縄文の書籍を手にするようになり、縄文人はどんな生き方をしていたのだろう、私は冬になると決まってそんな心境になるのです。

関東の青空の広がる気候に比べ、日本海側では毎日がほぼ鉛色に覆われる空。この大きな違いに縄文人の生き様を思い描かれるのだろうと思う。

 今年から自宅に薪ストーブを設置した。朝起きると先ず薪の炊きつけが始まる、ストーブの燃えが良くなるには何度も煙突の付け替え変更をした。煙突の縦の長さをましてようやく燃えるようになった。ぱちぱち、ゴーと燃える音を聞く、この音はとってもいい、太陽が現れたれたような気持になる。このストーブを中心に家族3人が囲む。

縄文人竪穴式住居であった。一つの囲炉裏を囲み家族が話したであろう。この囲炉裏は単に暖のためだけにあったのでないと小林達雄さんは言っている。中にはこの囲炉裏には石棒もあった。赤々と燃える焚き火でどんな話をしていたのであろうか。今日では一つの囲炉裏どころか家族でありながらそれぞれの部屋で暖をとる生活様式になっている場合も多いと思う。私の記憶によれば40年前頃はやはり家族が一つの暖を囲んでいたのである。今日では家族であっても個人と個人の生き方に大きく変わってきたように思う。

 縄文人が囲炉裏を囲み語ったことを想像してみる。家族はおおむね5人くらいだそうで、その家族は一つの集落に10軒位、つまり50人前後の村の人口であったようです。それぞれの住居では家長を中心に春になったらどこに食物をとろうとか、第一の道具つくりを伝えたりしたであろう。しかし第2の道具についても語ったであろう。第2の道具とは石による斧とかナイフとか刈や伐採につかったそういうものでなく、土偶とか石棒、ストーンサークルのような現代では役の立たない精神的道具のことである。その道具に祈ることによって病気か治ったり、収穫が多くなったりそれが立派に役にたったと思われる。そんなことも冬の間語り合ったであろう。

  現代は科学的に証明されないことは信じない時代になったが果してそうであろうか。50歳60歳という節目にたって体調が変化して衰えている。どうしてなのと科学的には解からないことばかりである。縄文人が遅れているのか、現代人が進化しているのか。その答えの一つに現代人は寿命だけは伸びたが自然から受信する感覚が極端に衰えていると思う