2009.01.12
冬景色3
佐藤賢太郎

1月11日村の春祭りが神社で執り行われた。
   神主さんがおいでになり村人の安泰五穀豊穣を神様にお願いする。それから氏子総代その他、榊を神前に添える。今年は私も榊をあげさせて頂いた。なぜなら私が61歳になるので年男にあったっているからです。神主さんが私の名前を言っていただき無事息災健康であるようにと八百万の神様にお願いしてくださいました。今年から神主さんが変わり、SPレコード盤をまわし雅楽を伴奏に神楽舞いをなさった。何個も付いている金属輪のような道具を鳴らしながら舞う。舞いが終り、みなでお神酒をその場でいただく。神様と共にいただくと言う意味であろう。人と神との接点がこのようなときなのだろう。

私は思った。考古学者小林達雄先生が第2の道具と言っておられるが、まさに榊も金属板も第2の道具なのだろう。石棒や土偶ではないが効力を発揮してくれるものなのだろう。私を含め村人は神妙にご利益あるようにと頭を下げていた。素直な人間なのだと思った。小林達雄先生は今日ではそのように信じられるのが、絵馬などではないかとも言っておられた。もちろん地鎮祭などもそうである。

こうして3年目、村人の暮らしに溶け込んでゆくようになった。この後、村の集会所に集まり飲み直しをする。村の懇親会である。そして私は胴上げをしていただき、お開きとなった。その後、我が家に招いて酒の飲みなおしをする。年男に当たるのは25歳、42歳と61歳である。村に該当者が4人いたら、4軒を回り飲むことになる。今年は私だけであった。

   こうした機会にコスモ夢舞台のやっていることを少しずつ話してゆく。それがようやく受け容れられるようになってきていることは嬉しいことである。
   私が「2月にリトアニアの写真家が我が家に来られますが、村の有志で歓迎会していただけませんか」と区長さんに言った。「いいよ」との返答であった。こんなことをいえるようになったことはまさに神様のご利益なのか。村の人にお願いをする、村の人も参加していただく機会になる。これが実現したら素晴らしいことである。信頼を得るには時間はかかるものである。これが自然なのだろう。