2008.03.25
津軽圭介ショーに行く

母と家内と村の高齢の二人5人で津軽圭介ショーを昨年に続けて見物に行ってきました。村の人と共に行くのは初めてです。ショーが終って特別に部屋を用意していただき圭介さんと話も出来とても喜んでいただきました。わたしは関東に居たらこのようなところに行くことはまずないだろう。

昨年も圭介ショーについて書きましたが内容は津軽三味線、民謡、演歌、話、舞踊です。新潟月岡に二十年連続講演、それも2ヶ月3ヶ月のロングラン、同じホテルで行っているのです。今年は20周年だと聞くからすごいと思う。

 オレはそんなの興味ないと言う方もいると思う。どちらかと言うと私はその一人だったかもしれない。しかし今は、何ごとも見てもいないの前からそういう概念を持っていてはいけないのだろうとしみじみ思う。それはいくらまじめな生き方自負しても懐の浅い人間だろうと思うようになった。自分が動いてこそ解かるものがあるものです。

三味線は一流、民謡は東北日本一の民謡歌手、そしてなんと言っても司会をしながらコントをする津軽圭介さんの話の運びがうまい。しかも圭介さん初め出演者皆様普段は米を作ったりんごを作りの農業をなさっている。新潟に出稼ぎに来ましたというように歌手が専業でないのです。民謡とは労働から生まれた歌である。だから働くことを忘れてならないという。20年の続けて如何して飽きられないのだろうか。考えさせられるところがある。見物に来る方は大方年寄りが多いが歌だけなら絶対に飽きられてしまうだろう。歌と三味線と舞踊の繋ぎに大笑いを誘う話がいいのだと感じる。毎年同じ内容のようだが又来年も行くとの声が聞こえる。母などは何度見てもいいという、それをレベルが低いとは言いがたい。来年はもっと多くの村の人を誘ってみよう。

親を殺し夫婦を殺すこんな世の中がおかしくなったのは小泉のせいだと笑いを誘うセリフを今年も使っていた。ネタに使われる元小泉首相に感謝状を出さなければならないだろう。飽きられない舞台の継続の秘訣はそのような技術だけではない、表に出ない奥さんの働きが大きいと思う。個人的にも奥さんと知り合いになった私たちである。だから舞台の外の努力も見えるのである。人と共に幸せを願う生き方めざし自己精進にと無償の働きをされている。収入があったらためてはならないとよく寄付をされている圭介さんでもある。都会で豪邸に住む芸人とは大きく生き方が違うようだ。

ところで田舎は不自由で夢がない東京でないと文化的なものが味わえないと思いがちであった。近頃そうでないのではと思うようになった。東京は必要に応じすぐ行ける。ここ豊実はいながらにして雪見、桜見し温泉に入れる。食の安全を言われる今日、米、山菜はじめ旬の野菜を食べられる。排気ガスがない。四季が体感できる。自然の厳しさはあるがしかしそれが自然と一体になることなのだ。自然の摂理を感じ取れる環境にある。

経済性を最高善に求めるならここでは向かないだろう。圭介ショーを見るにもお金は少しいる、経済は必要だと思う、ほどほどにあれば良い、要は生き方の選択である。グローバル化になって世界中が効率経済ばかりに生きる目的にしてしまっているから人殺しや偽装、有害食物もつくり、環境汚染、戦争も起こるのだろう。

 今年も懸命に走りながらも蛍やメダカの育つことに腐心する時間を持つだろう。
 肩の力を抜いて今日も過ごしたひと時であった。(佐藤賢太郎)