2009.01.20
薪ストーブ
佐藤賢太郎

原油高騰から薪ストーブが少しブームになったとか。以前から癒しをモットーにしている和彩館は薪ストーブを使っていた。和彩館に来られたお客さんは、薪の柔らかな暖かさに触れて「薪ストーブはいいね」と言う。
 ストーブをいただいたので、昨年暮れから我が家では薪ストーブを自宅にも入れた。はじめ母は家がすすけるからと反対していた。

朝5時、杉の葉と細かい枝を焚きつけにし、そして第2弾に少し太めの木をストーブに入れる。それに火がついたら太目の薪をくべる。ところが薪の使用量が多く、生の薪まで燃やさなくてはならない状態になり、冬に薪割りもする。雪がやんだ間に家の中の薪置き場に運ぶ。母はご飯を炊くのにも薪を使っている、朝から薪割りである。

  さて自宅の薪ストーブであるが乾いた木と湿った木を混ぜながらストーブの子守をしなければならない。ストーブのそばに家族が集まり本を読んだりするストーブが中心になっている生活である。
 ストーブの上にドクダミ茶の入ったやかんをのせてお湯を沸かし、もちを焼く。労働という言葉はふさわしくないが、薪運び薪割りなどの働きは当然付きまとう。家族が協力しなければならないストーブである。
 しかし、なんだか昔の生活に一部戻ったようである。そして灯油使用料は昨年の3分の1になりそうである。春から乾いた薪を保管する準備の必要に迫られている。
 石油ストーブに比べとっても不便で不合理な生活かもしれない。しかし、自然の循環を意識し、田舎暮らしになってからのスローな生活ではあるが、人生の生き方が後退しているとは思えない。