2009.04.18
山菜採り
佐藤賢太郎

豊実はうっすらと山桜の花が咲き始めた。4月中旬、今ようやく山々に緑の若葉が芽吹こうとしている。

 村の中では夢に生きる私のよき理解者であるFさんが、家内にコゴミ(山菜)採りに行こうと突然言った。家内は間髪を入れず「行きましょう」と応えた。その後に、私も同行して欲しいと言う。

午後は彫刻の仕事があるのにと思いながらも、言うことを聞くことにした。それに、お世話になっている下越酒造会社の奥さまから和彩館のそばを食べたいと私が日曜日の予約を受けていた。そのそばのてんぷらに山菜の食材も必要であった。

 さて、Fさんと3人でエンジン付き舟に乗って、広々とゆったり流れる阿賀野川を上流に向かった。この日は寒かったが、折からの向かい風だった。どんどん上流に向かうと川幅が狭くなって渦を巻いているとこにさしかかった。今までに見たことのない風景であった。小学校の頃、櫂でこいで舟を乗って遊んだことがあるが、こんな上流まで上ったことはなかった。そんなとき、携帯に古木さんから電話が入った。エンジンの音でよく聞き取れないが、ヨーロッパのどこからか、かけているらしい。「忙しいですか」と問いかけてきた。「忙しいですが、今舟に乗って山菜採りにきています」と言う。用件があって電話をくださったのだが、日本と東ヨーロッパの違いを話されていたようである。帰ってから聞くことにした。

 なかなか私たちは旅行に出かけることができないが、舟に乗って景色を眺め、食材を採りに行く、なんと優雅でないか。ヨーロッパから電話が入り、世界は近いものだなと思う。そんなところから電話を頂けることにも感謝である。そうこうしていると、エンジン付きの舟が蛇行してやっと上るような狭い川幅となった。少し怖いようなところにさしかかった。もしかするとここは「銚子の口」(急流)というところかと思った。やはりそうらしい。しかしそこまでは、100メートル先だそうです。

 さて山菜のコゴミを採る陸地(入り江になってそこだけが流れがなかった)に上がった。笹藪になってなかなか歩きにくい。

ともかくコゴミが手に入った。コゴミは少し暖かくなるとしだのようになり丸まったところがなくなり、食べられなくなってしまう。春一番に食する食べ物らしい。山間地の雪国は山菜等食物が豊富であり、だから縄文人はこうしたところに住んでいたのだろう。

さておもうに、人生は決断と選択が大切だと思う。行かないかと誘われたら迷うことなく動く。迷うこともあるが選択する。動いてこそ感動はやってくる。人生の選択やコスモ夢舞台つくりもこうして創られてきている。どこかの手本はない。独自で考えて歩んでゆくしかない。