2020.10.8
ガード-マンとガード-ウーマン
佐藤賢太郎

 ガード-ウーマンは私の家内である。ともかく朝起きた時から寝るまで私に注意する。それは家内のストレスの発散のようだ。
 家内が文句をいうのが私は嫌である。病気になりそうです。その反面、大いなる刺激である。しかし、病気になるよりもいいかもしれない。本人はもっと普通であってほしいという。ついて行くのが大変、子供のようだと。
 朝からアート、アートと言わないで、少しは常識的なことをしてほしいと言う。あなたがよりよくなってほしいから言うのです。ともかく結婚も修行である。生まれた以上、誰でもそれぞれ修行の世界に入る。修行の世界に入り悟りを開いていけるのはましな方である、そう思えてならない。たまたま縁があってこのガード-ウーマンと出会い、私がいる。私の守り神かもしれない。

 それに対して厳しく見てくれる? ガード-マンも存在する。私は全国放映されるテレビにも出ることになっている。その準備でアートや田んぼ、森林に入り、忙しい。表彰も受け、全国放映になったら大きなミスも許されなくなるだろう、そのためガード-マンがいる。
 こうして私の足らないところを補ってくれるから、ありがたい存在と思えばいいのでないかと悟ってきた。
 人間は必ず死に至るものです。私も近くなってきました。しかしながら今が最高です。