2017.10.18
発見する喜び
佐藤賢太郎 

良く掲載するとあきれる方もいると思います。ともあれ、それだけ感動ある生活をしているから書けるのであります。 

私は、今年は肥料もいらないエゴマを作りました。エゴマは猿も食べないし、人間にとっては健康食。エゴマ味噌で玄米を食べると何もいらない。しかし植えて、収穫して、それからの手数が大変です。エゴマを収穫しても石粒やごみが入っていて、それを取り除くのが大変です。私は夜になってエゴマを少しずつ、お盆に載せピンセットで取り除きました。これが大変な作業です。家内が「洗ったら」と言いました。少しやってみました。すると何と細かい石やごみが落ち、エゴマだけが浮かぶのであります。あんなにきれいにしたエゴマも、洗うと砂や小石が一杯沈んでいました。発見する喜び、理屈を並べる前に、ともかくやってみることの大切さが解りました。 

ともかく普通の人は理屈を述べ、しない方に傾くのではないでしょうか。

そこで、縄文の講演会と里山アート展のことを結びつけて考えました。縄文人が1万5千年前からやっていたことを今、現代人がやっている。確かに月に行けるようになったのは科学のお蔭で進化でしょうが、それで人間はシアワセになったのでしょうか。

里山アート展は、既成概念にとらわれることなく創造する訓練の場であるとも思います。私自身、制約の中から数々作品を産み出しています。大自然やご先祖のお墓も作品にします。それは既成概念というかドグマを捨てて生まれるものだと思います。里山アート展の会場も作品ですが、リフォームした空き家も作品です。 

必要な時、必要なものが集まってくる。空き家の整備をしてくれる方が出てくる。不思議な力を頂いています。AとB を結びつけて考えられる面白さの発見です。AならAとして見るのではなく、ものごとは皆繋がって見えなければ、現象は生きてこない。里山アート展をただの野外作品展と見るのではなく、その周りとの繋がりを考えることが大切だと思います。考古学の縄文文化を例にとりますと、土器のとさかが高い低いと論じるより、土器のとさかのある無しが大切な視点ではないかと思いました。