2017.08.11
幸福
佐藤賢太郎 

生きていれば誰もが幸福に暮らしたい、これは生きるもの全ての本能的なものだと思います。人生の後半、70歳前にしてしきりに思うことがあります。

幸福とは何だろう。金銭、健康、愛、仕事や名誉が満たされれば人間は幸福になれるというものではない。しかし私にはこれらは全て、最低限は必要だと感じます。ことに健康は、絶対的に必要だと思います。健康は自然に与えられるものではない。気力、体力、好奇心、向上心には、健全な肉体と精神力が必要であると思います。

8月8日、私は仲間と共に「地域づくり表彰」のプレゼンテーションのために霞が関の国土交通省へ行ってまいりました。受賞すれば私は嬉しいのですが、コスモ夢舞台会員にとっても大きなものとなります。というより、もはやコスモ夢舞台会員だけという範囲ではありません。ベースを作ったのはコスモ夢舞台会員ですが、発展するためには、さらにそれを超えてゆかなければなりません。

受賞は「認められる」ということです。しかし受賞しなければ、認められなければ不幸になるのでしょうか。私はそうは思いません。受賞によって不幸になることだってあります。私には、その別れ道で先導していく責任があります。

もう一度考えてみます。幸福って何だろう。カール・ブッセの「山のあなた」の詩にあるように、幸福は実は自分の身近にあったという、自分自身の心の内という解釈もあります。またキュリー夫人には貧乏な時代が一番幸せであったという話があります。ここで学ぶことは、幸福とは人生の価値をどこに置いているかで違ってくる。そして、目標への絶え間ない探究のときこそが幸福であるとキュリー夫人は語っているようです。

幸福の形や感じ方は人によって様々ですが、私は、@自分の人生が人のためになっている実感があること Aそして世のためになり、不足の思いをしないこと B自然の中で、自然の摂理に生き、和して生きることを心掛けています。幸せは、仕合わせとも書きます。個人的な「幸せ」に比べ、「仕合わせ」は、お互いに支え合い、自分も幸せになることです。

「地域づくり賞」を受賞すれば、「仕合わせ」になります