2006.7.19
「石夢工房」建設作業日誌

7月14日(金) 小雨
午後7時、JR新白岡駅前で待ち合わせて鈴木さんのクルマに大塚さんと同乗した。一路、豊実へむかった。大野さんも同じ頃、自宅を出発されたそうだ。                  
日曜日には、渡辺さんのクルマで高田さんと大野さんの奥さん、ゲストの城戸さんが参加され、桐山さんも電車で豊実入りするという。                               

いづれにしても、今回は少人数で雨との戦いになりそうだ。例によって那須高原SAで腹ごしらえを済ませたが、10時半には和彩館に到着した。
一足早く着いていた大野さんは、賢太郎さんとマキ子さん、御沓さんご夫妻と談笑していた。長雨と明日からの建設作業を考えて、全員早めの就寝となった。

7月15日(土) 雨
石夢工房周辺の露天風呂の整備と池の造営、工房作業場の整地にはユニックとユンボが必要で、「水原の小林さんに頼んであるのだが、この雨で大丈夫だろうか」と賢太郎さんは心配顔だった。朝食後、工房に駆けつけると、小林さんは既に二人の従業員と作業をはじめていた。さすがに、プロ集団の手際のよさは光っていた。

「石夢工房」の下屋から大きく広げられた青い10m四方のビニールシートの下で、工作室の床張りのための土台つくりが進められた。これは鈴木さんと私の担当だった。2階の屋根では、残されていた壁部分の板張りが大塚さんと御沓さんの手で進められた。賢太郎さんと大野さんは雨の中を出たり入ったりと飛び回っていた。プロ集団の巧みなユンボの操作で、水が入り込んでぬかるんでいた作業場も見る間に整地された。

降りしきる雨と汗で身体を乾かす暇はなかったが、片道30分はかかった赤湯までのことを思うと、着替えさえ用意すれば入浴できるこの作業場に文句のつけようはなかった。
小林さんも我われと一緒に、感慨深げに露天風呂に入った。今夜から二晩、和彩館に泊まるという。想定外の友情出演はありがたいことである。これでまた、コスモ夢舞台の土俵がひと回り大きくなりました。

夜は賢太郎さんの‘ギリシャ奮戦記’と出版の夢で盛り上がった。賢太郎さんとりオシス氏の友情を支えているものは、一体何なのだろうか。それは、僅かに共通する英語を駆使した、波長の合ったハートと美的なアート感覚だったのではなかろうか。                   
アマリアーダと豊実が、我われにもこんなに近く感じられるのは不思議な話である。コスモ夢舞台に咲いた一輪の花を、我われもまた大きく末永く育てていきたいものである。出版も夢で終らせたくはない。

7月16日(日) 雨
第二陣は9時半には到着した。高田さんは実績を買われて、即土木作業員となった。三人の女性軍は、律子さん、美千子さんのお手伝い組と合わせて賄い班に加わり、さらにパワーアップした。昼食には、さっそく「滔々亭」の石釜で焼いたピザをいただいた。素晴らしく美味しかった。

土砂崩れで不通となった磐越西線を諦めた桐山さんは、新津から新潟へ戻り高速バスで津川に到着。賢太郎さんのお迎えの車でようやく豊実に辿り着いた。長時間、本当にご苦労さまでした。

石夢工房の床張りは順調に進んで、シートで覆われていた建材を概ね取り込むことができた。これで、まずは一安心だった。さらに道路側には松材の扉が並べられ、広場側と入り口側には桐材の戸板がはめ込まれ、ドアーも取り付けられた。何とも贅沢な物置となった。
「石夢工房」の外装は、モダンで重厚な建物に変貌した。

一方、露天風呂では周辺の整備で浴槽が一端ユニックで移動されていた。その右手前には、4畳半ほどの池の予定地がユンボで掘り下げられて雨水が溜まっていた。
その仮設の露天風呂で、汗を流した後の夕餉は昨夜以上の大宴会となった。
来年は、ぜひみんなでギリシャへツアーに出かけようということになった。その際はガイド役を引き受けると賢太郎さんも乗り気だった。
コスモ夢舞台が一段とスケールアップしたかのような楽しい一夜となった。

7月17日(月)海の日 雨
第三回縄文の風シンポジウムは午前10時〜12時だった。会場の準備で和彩館に残った鈴木さんと御沓さんを除いて、石夢工房の建設作業は9時打ち切りまで続いた。
工作室の屋根部分の両側面に灯り窓が付けられ、それを囲みこむように三角形に壁板を張っていった。道路側左手の桐山・高田組、右手入り口側の大塚・森組もどうにか時間内に作業を終了した。これで、外装は総て覆われたことになる。雨露をしのぐ、ペントハウスの寝泊りが可能となった。

露天風呂の周辺はまだ未整備だが、石夢工房がコスモ夢舞台の新しい顔になることは間違いなさそうだ。そんな想いを楽しみながら石夢工房をあとに、シンポジウム会場へとクルマを走らせた。(森 紘一)