20090313
日本に向けられたヨーロッパ人の眼16
佐藤賢太郎

今回の写真撮影でドイツのハンスさんは連続7日間宿泊し、朝夕食や風呂を共にすることになった。そのため、朝夕、我家の家族と日常生活のかかわりやハンスさんの家族のことなども話題になっている。朝早くでかけ、夕方帰ってきて家族のように(余分な干渉は一切ない)会話をするこんな一週間であった。

二日間、赤湯温泉に母と家内と4人で一緒に行く機会があった。母は車に乗る前にハンスさんに「こんばんは」と言うのは英語で何ていうのと聞き、母が「グットイブニング」と言うと笑って答えてくれたと喜んでいた。
   車の乗り降りには、母のドアを開閉してくれる。母はありがとうを何と言うのと聞き、今度は「サンキュー」と言いながら「ハンスさんはとっても優しい、いい人だ」と言う。それを伝えるとまた笑いがでて、恐縮されたようであった。ともかく、礼儀正しさとあたたかい人間性を母ともども感じたしだいである。

それにしても、食事は美味しいとおもっても必要以上に取らないことには驚いた。勿論お酒も、もう十分ですと断る。ゆっくりとそして水を飲みながら食事をしているとあまり食べられなくなる。ハンスさんと食事をしているとおかわりもないので、おかげで私の体重も少し減少した。

ところで、彼は年3~4回海外で写真撮影をするそうです。大変なことだと思う。そのためには、まず健康でないと無理であり、知らない人と接することも平気でないとできないことだ。私は「海外にそんなに多く撮影に行って何を感じますか」と聞いた。難しいようであったが、もう一度きくと、「いろいろな人に会えること、いろいろな物を食べられること、そして違いや変化を感じることができる」と答えてくれたようである。

「そうしたことを文章にしたことがあるか」と聞くと、文章にはしないようで、もっぱら写真だけのようです。撮影は地元の私でも行かないようなところまで車で入り、そして歩いて撮影ポイントを決める。曇りの日を選んで、その日が来るのを待つ、そしてともかくじっくりと写真を撮る。彼は1週間余、豊実、日出谷周辺を撮影したようである。こんなことはどの写真家もしないと思える。ドイツ、アフリカ、アメリカで撮影した写真集(彼は写真の合成はしない、あくまでも自然そのものである)を見せていただいたが、今回どんな風にまとめて表現されるかとても楽しみである。

ここにはいい撮影場所があると言って、何度も同じところを撮りに車で走った。今日は天候も最高で集中的に16枚の写真を撮ったようで、とても忙しく、滅多にないチャンスに恵まれたと喜んでいました。

最後の夜は旅館の風呂を体験していただこうと、女将さんと以前から懇意にさせていただいている、地元でも有名な古澤屋旅館に案内した。ハンスさんは旅館の美しい室内や露天風呂の風景をみて、「ビューテフル」と感嘆の声を上げていました。

   朝、ハンスさんから大切にもってきた(前日見せていただいていた)「統一ドイツ交通」というタイトルの自分の作品集をくださった。感謝の気持を表したかったのであろう。きっと一部しか持参してなのだろうと思う。写真集のはじめにサインとして「佐藤さんとマキ子さんに親切にそして、グレイトなもてなしに感謝する」と書いてありました。
   こうしてハンスさんとの一期一会は、翌日豊実駅に見送りに行って終った。この「日本に向けられたヨーロッパ人の眼・ジャパントウデ゙イ」が新潟県に決まって以来、これは大変なことになった、私にできることは何かと思いながら、県庁や新聞社に出向き、そして地元では写真家の歓迎会を開くことから始まった。
   一つ一つの出会いはそのときに終るのではなく、やがていつか縁によって、いろいろな繋がりがでてくるのだろう。そして、コスモ夢舞台の創り上げてきた意義も、もう少し(確かに地元では、すでにその成果がでているが)理解していただけることになるのだろうと思った。