2020.12.20
縄文から思う
佐藤賢太郎

 専門外の私には考古学的に言えないが、アート的な感覚として言いますと縄文土器は機能的でない。こう述べるのも、なぜストーンサークル作るのかと質問をいただいたからである。
 縄文後期から弥生時代になると土器は機能的になる。私は思うのだが、魂の世界を重要視しなくなったからでないかと思う。現代人はあまりにも機能的、効率的になっていないだろうか。豊かな生き方とは縄文中期の生き方ではないかとさえ思う。
 今まで17回、里山アート展を開催してきたが、里山アート展の作品は使う道具でもないし食べるものでもない。断っておきますが、食べることは人間にとって重要であります。田んぼにアートをはじめに置いた時、ある方に「ここいらにはなじまない」と言われた。