2007.03.15
木の精
佐藤賢太郎

 よく水の精、森の精などと言われるが、そんなもの見えなくて存在しないと現代の私たちは思っている。
 それれと同じように木の精はどうだろう。犬には感情や意志がある。それと同じように植物にもみな何か意志をもって存在するのでないだろうか。概して植物は穏やかで鈍感になった現代人には、なかなか感じ取れないのだろう。

 私は先日漆かぶれになってしまった。これで3度目。こんな冬にどうしてかぶれるのと思われるかもしれない。実は作品台つくりで金箔を張ろうとした。そこで以前買い置きしてあったチューブ入りの漆と書いてあったものを搾り出した。そして金箔を手で貼り付けた。翌朝、手か痒いあごが痒い、しまいに、顔が赤くなってしまった。やった!又漆かぶれになった。明日テレビ取材があるのに困った。今までは自然に治るまで待っていた。しかし今回は急いで病院に駆け込んだ。一度は漆の木と知らず夏ノコギリで切手しかも暑いので顔をタオルでふいていた。これでは顔べったり漆を塗っているようなものでした。漆に弱い体質であるのによく懲りないものだ。

 それはともかくこのように木が人間や他の動物にはっきりと意志を示してくれる。この漆の木を見ていると木の精というものを感じる。それに銀杏もかぶれるそうです。現代は木の汁がそういう美質を持っているので触れるとかぶれると片付ける。しかし縄文人は違ったものの感じ方をしていたのだろう。それにしても縄文時代から漆を縄文人は使っていた。初めに漆かぶれした方は怖くて近寄らないと思うのに、怖がらないで漆をうまく使っていた。すごい事だと思う。怖いもの嫌われるものにこそすごいものもあるのだと教えられる。私なら懲りて絶対と近づかないだろう。すごい威力があるもの、怖いものを先人は精霊とあがめたのだろうか。