2012.02.04
Eさんと会う
佐藤賢太郎

大雪の中、会津若松で会うことになった。私は、書類つくりに協力していただくために会津若松に出向き、デニーズで会うことになった。

書類のことより、今年の里山アート展の冊子に原稿をお願いすることから話が始まった。私のような者でよければと、謙虚に原稿を引き受けて頂いた。その時、制作に限らず思うところを原稿に書いていただこうと思いついた。

とても話が弾みあっという間に時が過ぎた。今回の冊子(第8回里山アート展)の内容が良かったとほめていただきました。

Eさんは今、震災後の支援活動に尽力されています。そして、人はどのような選択をしなければならないかを思うとき、元のような復興ではなく、自給自足型の生き方、つまりコスモ夢舞台のような精神が大切ではないかとも言っていただきました。今年はEさんご出席で、震災後の生き方について話し合いの場を設けたいと思いました。 

当然私の体調のことも聞いてくださった。食事のことや心の在り方などを話しました。今は亡きお父上からの言葉にも同じことを感じると、多くの共感をいただきました。

私は今年から来年にかけて夢がある。そして講演も開きたい。するとEさんは、出版社を立ち上げ、初出版する時「お金も何もない、ただ出版した本が誰かに買っていただくそのイメージが浮かび、それが嬉しくて、嬉しくて。なるかならないか解らないが、その時のようなと同じようですね。」とその気持ちを語ってくださった。できるかできないかそれは分からないが、夢があったという。私を見て「賢太郎さんはものすごく元気でキラキラしている」と言っていただいた。

Eさんは私の話にメモをと取られ、「生きるプロである」という言葉に興味を持っていただいたようである。9回里山アート展冊子にEさんから、どんな原稿を書いていただけるか楽しみである。

話は飛び飛びでありますが私は「Eさんのような文章は書けませんが、私にとって書くということは生きる気力を奮い立たせるもの」と言った。Eさんはうなずきながら「必ず豊実に参ります」と言っていただきました。

   今日Eさんと話をしていて免疫力がまた一段上がることができ、とても楽しい時間を持てました。