2011.12.18
天の使者
佐藤賢太郎

25年前、会津若松で人生の先輩五十嵐大祐さんと出会った。彫刻家として独立間もない頃であった。道に迷っているとき、シルクロード文明展というタイトルが目に入り、土蔵つくりの展示室でコレクションをじっと見ていた私に、五十嵐さんは「あなたは何をしている人ですか?」と尋ねてくださった。それからの付き合いである。美学に造詣が深く会津にこんな方がいたことに感動した。以来、私を会津に引き寄せてくださり、わたくしを応援してくださるありがたい方であった。今年93歳で夏にお亡くなりになった。まさに、私には天の、神の使者であったと思う。話は変わりますが、昨日私は新潟市に住む85歳の早川さんをお尋ねしました。この方も、一筋縄では行かない古老であります。何せ、ご高齢ながら入院後、退院されると即、一人でオーロラを見たいとカナダに出かける。かと思えば、九州や四国のお遍路を一人旅する行動の人です。

倫理の勉強会で出会い、それ以来の付き合いですが、今年早川さんはコスモ夢舞台の会員になられました。そしてご自身のお墓の制作を私に頼まれ、現在制作しているところです。4月末に完成据え付けは5月になるでしょう。皆様に見て頂きたい慰霊碑です。

このモニュメントは「南無阿弥陀仏、水魂、道ひとすじ」の文字を入れてほしいとの依頼であった。ただ、石に“南無阿弥陀仏”という文字を書く墓碑にはしないでほしいという注文があります。そして、すべて私に任せるという、全面的に信頼をいただいてのことであった。

私は南無阿弥陀仏の意味を調べましたが、それは結局悟りの境地をさすように思えました。そして、昨日はさらに“水魂”という字をコレクションの赤石に彫ってほしいと依頼された。その打ち合わせに早川さん宅にお伺いしました。水魂という文字が早川さんの座右の銘のようであった。どうしてなのか、それは若いとき県庁に勤め、のち会社を興し活躍され、自宅には目白の田中角栄さんとの打ち合わせの写真も飾ってあった。地質の仕事をしていたので「水」ということにこだわりがあるのかと思い、この機会に早川さんに詳しく聞いてみました。

すると、水の性質そのもの(黒田如水の言葉)と自分の生き方そのものが合致しているというところに感銘するところがあったのです。その一つに「自ら活動して他を動かしむるは、水なり。」があります。早川さんの言葉に「道ひとすじ」の人生で多くの人々に出遭ったおかげで、今日まで生かさせてもらってきました、とあります。早川さんの今の境地は倫理に生きる、それが悟りであると感じました。

そして早川さんは「6年後、私は自分の興した会社にモニュメントを立てたい。」と言っていました。それは銅像のような自分の足跡ではない、会社の原点、親の原点を考えることにあるのです。ただ水魂という文字を石に彫るだけです。

6年後です、すごいと思います。現在85歳です。彫刻家北村西望(102歳没)を思い出しました(100歳の時か忘れましたが、ともかく高齢になって50年分の木の材料を買ったというエピソードがあります)。

私は五十嵐大祐さんと同じように、早川末吉さんとは親子ほど年が違う方に支えられていることを思いました。今年彫刻モニュメントの仕事がないときでしたので、早川さんは私を生かしてくれる神からの使いの存在だと思いました。人生は計り知れない出会いがあることを思った次第であります。