2012.02.25
災い転じて幸せに
佐藤賢太郎

私は思ったことは書くことにしている。あの人はどう思うとか、あまり先々のことをウジウジ考えないことにした。誤ったら潔く改めればいい。

ガンと宣告されたら、何と私は不運なのだろう思う人が多いと思う。しかし私はそうではない、おかげさまで命の時間を意識して生きること、節制して生きること、作品を作ること、食や人間の体についてなどを知ることになった。つまり、生きることそのものを考える機会をいただいたということである。なぜなら、これは意識しても簡単にできることではないからだ。

そして、最近まで知ることのなかった次の人びとと出会えたのは幸せであった。

何をやりたいか

その一人はガン患者研究所代表の川竹文夫さん、そしてもう一人は料理家の船越康弘さんである。川竹文夫さんは友人から頂いた本から知った方であり、船越康弘さんの本は友人から頂いてそのまま眠っていたのだが、私がガンになって食を考えるようになり、家内が船越さんの料理教室に参加したことから、その方の素晴らしさを知りました。

それぞれすごい方々で、話をする内容にも素晴らしい共通点があった。

自分の存在をどこまで信じられるか。

船越さんは「私はニュージーランドに行きたいと思ったら、50パーセントかなっている。たいていの人は、できない理由を探すのが好きのようです。本当にその人がやりたいと思ったら、一切準備はいらないです。準備を全部やったときは皆さん死んでいます」と言っている。

思えば、私も同じ道を歩んできた。横浜高島屋美術画廊の個展会場で、これからの希望を語ったのも同じであるように思えた。

 そして、捨てれば捨てるほど大切なものが手に入る。この言葉にも私は共感する。命がなくなるかもしれないとき、何を選択し、どのように生きるかを考えることになる

メージが体を作る、心は体の設計図

これも川竹さんと船越さんは異口同音に語っている。「私たちの病気を治すのは薬でもなんでもないのです。私たち自身なのです」という船越さんの言葉は、川竹さん流に言えば「心は体の設計図」ということになるだろうか。「この子がアトピーでさえなかったら」というが、病気になったからこそ学べることもある。前向きでいい言葉ですね。私も同感です。

感謝の心をもって食事を

ガンと分かって、私は玄米菜食に徹している。船越さんは「私たちは健康のために生きているのではないのです。玄米菜食は手段です。その食べ方以外は邪食だなどと、たった一つの理論で他をすべて裁くのはとんでもない傲慢ですよ。健康のためなら命もいらない(笑い)」と言っている。

リュウマチになって死にそうになった方が船越さんの本を読んで感動し、ニュージーランドまで追いかけてきたとき、その方に「幸せだ、運がいい、健康だ」と言って歩くことを進め、そうすると歩けるようになるからとアドバイスをされたそうです。これも川竹さんと同じことを言っています。まるで同じ勉強会に学んでいるようです。

ところで、リュウマチの方が帰られる前にワインとチーズでお別れパーティーを開かれたそうですが、食べ物に添加物が入っているとワインのラベルの英文字を辞書で調べて、調子が悪くなったのはこのせいだと納得したそうです。その上で、「こんな素晴らしいパーティーを開いてくださってありがたいと思え」と言ったそうです。

いろいろな指導を受けるのは大事だが、食事に一番大切なのは感謝の心をもって食することと結んでいました。

私はこれからも玄米菜食を続けるつもりだが、まさに感謝の心は生き方にも通じる大切なことであると思った。