2012.2.24
豊実訪問記 ’12
坂内克裕

 219の日曜日、会津ではめずらしく快晴になった。会津の冬は毎日が雪降りか黒い雲が垂れ込める曇り空、たまに陽が差しても風が冷たく、その風が運んできた雪がチラホラ舞ったりする。しかしこの日は無風で、久しぶりの青空が眩しかった。こんな日は貯蔵野菜を掘り出すべしと会津の古老は伝えている。

 我が家では野菜を雪室(ゆきむろ)で保存する。これは、秋も深まって雪が降り出す直前、家の近くの畑の一角を平らに均し、屋敷回りの立木から伐り取った杉葉を敷きつめて野ネズミ除けとし、その上に収穫したばかりの白菜やキャベツを並べ、それを稲わらで覆うだけの簡単なものであるが、やがてこの上に雪が降り積もり天然の冷蔵庫になるという、昔からの暮らしの知恵が生んだ優れものなのである。

 その雪室を今年初めて掘ってみると雪の厚さは1メートルもあった。佐藤さんがホームページで「大雪」と題して紹介しているように、今冬は降雪量が多く、我が家でも雪害が出た。一つは、自宅の裏に作り付けの流し台が屋根からの大量のしかも一気の落雪で倒壊し配管してあった地下水の水道管まで千切ってしまったもの。これは、春の雪解けを待たないと修繕出来ないので今は揚水ポンプの電源を切ったままにしてある。もう一つは、作業小屋の北側の屋根の抱き合わせになっている部分が、通常でも雪が落ちにくいのに大雪のため1メートル以上の積雪となってしまって屋根先が折れてしまったもの。こちらは仕方なく、佐藤さんに倣って2階建ての屋根に上がって除雪した。屋根の除雪も古老が伝える技があって、まず屋根に上るのは気温が上昇しない午前中だけとすること。長靴に荒縄を巻き付けて滑り止めとし、屋根に上る梯子の他に、荒縄をところどころに巻き付けた木の梯子を準備して、これを一階の屋根の雪の上に伏せて置いて足場にする。これを伝って行けば安全に2階の屋根先に辿り着けるという訳である。お蔭で一時間ほどで無事地上に生還出来た次第である。

 さて野菜を掘り出して後始末をしてから、去年の確か今頃にも豊実に野菜を届けた事を思い出した。すでに陽は傾いていたので、急いで支度をして出かけた。

 豊実に着いたのは午後6時少し前で、あたりはすでに暗くなっていた。佐藤さんの家の庭には屋根から落ちた雪が背の高さにまで積み上っており、かろうじて車を置く場所だけ地下水を利用した融雪装置でアスファルトが顔を出している状態だったが、そこに佐藤さんの車はなかった。もしや留守かと思いながら玄関に入って声をかけると、おばあちゃんが出てきたので「おとうさんかおかあさんは居ますか」と尋ねると、まず台所から奥さんが、次いで居間から佐藤さんが顔を出して「あら!まぁー」と、久しぶりの顔合わせとなった。聞けば今しがた外出から戻ったばかりで車は隣りの和彩館に入れてあるという。私が、今日雪室を掘ったので野菜を届けに来たこと、ちょうど夕食時になってしまったので野菜を置いたら直ぐに辞去したい旨伝えると、夕食は会津坂下町で蕎麦を食べて済ませて来たので「遠慮せず寄ってお茶でもどうぞ」との事だったので安心してお邪魔してお話することにした。お茶は佐藤さん愛飲のドクダミ茶、お茶うけは、佐藤さんはフリーズドライの大豆、私はミルクをコーティングしたナッツをいただいた。

 久しぶりにお会いした佐藤さんの顔は溌剌としていた。皮膚もツヤツヤとして輝いており、元気そのものだった。大きな個展をやり終えたせいもあるのかもしれないが、やはり玄米菜食の成果にあらためて目を見張る思いがした。「もっと痩せしぼんでいるんじゃないかと心配して来ました」と冗談が言えるくらいだった。検査の数値も確実に下がっているという。また個展では、近くの会員の家を泊まり歩いて、それぞれ玄米食を出していただいたが、お相伴したそれぞれの家庭の皆さんが、玄米食ってこんなに美味しいものだったのかと一様に感心されて、さながら玄米菜食の普及行脚だったと奥さんも笑って話された。

 ともあれ横浜での個展は大成功となり、例年2月には落ち込むデパートの売り上げにも大きく貢献して感謝されたとのことで、佐藤さんの健康状態とともに明るい話題となった。

ちょうど一年前に私は「豊実訪問記」の末尾で次のように書いた。

『最近の佐藤さんの、ホームページでの文章を読むと、だんだん思索が深まっていると感じないでしょうか。

人間の生には限りがある。そこに思い至ったとき、人は精一杯真剣に生きようとします。そうすると自ずから思索も深まるし、これまで見えなかったものも見えてきます。自分を生かしてくれた周囲の人や育んでくれた自然に、感謝して生きるようになります。やがて、それらが総合して作品に結晶することになるでしょう。芸術家佐藤賢太郎は、これから、今まで以上に良い仕事をするだろうと、私は確信し期待しています。』

今回の個展の成功は恐らく、佐藤さんのそうした生き方が作品に反映して観る者の胸を打ったのにちがいない、その記念すべき個展を観られなかったのはとても残念だったなと思いながら豊実を後にした。

 そして昨日、佐藤さんから封書が届いた。持参した野菜への丁寧なお礼状とともに、出来たばかりの里山アート展の冊子が入れられてあった。こうしたところにも佐藤さんの人と成りが現れていると感じて、これは書いておかなければならないと思い一文をしたためた。