2023.9.2
縄文の祭典
森 紘一

  きょう(8/30)も快晴、日ざしは朝からきびしい。新白岡で合流した東京ブロックの五人は、鈴木さんのクルマで、いつものように久喜インターから東北道に入った。8月末の週半ばとはいえ、高速道はガラガラだった。この異常高温は出かける意欲をそぐのかもしれない。いったい日干し状態はいつまで続くのだろう。
 磐越道に入ると、大きな磐梯山が青空をバックにすそ野がどこまでも見えて美しい。何かスッキリとした気分になる。
 今回の豊実行きは“縄文祭り”のイベント参加が主目的だが、佐藤さんとマキ子さんの“元気”の確認も大事な要件である。我われは、12時半前に豊実に到着した。北九州の現役女子大生がウーファーとして逗留中で、和彩館を預かっていた。  きようは、阿賀町役場の講習を受けることになっている。13時集合の予定ではあるが、佐藤さんとマキ子さんは会津の病院から帰還中で、何時に戻れるかはっきりしない。
 3時過ぎに戻った佐藤さんを待ち構えて、さっそく馬取りの現場で実演講習が始まった。役場の指導員は2名で、生徒は佐藤さんと先着している飯野さん、新潟市内から駆けつけた小宮さんと東京ブロックの五人組の計8名だった。
 今回のテーマは「刈払機の正しい使い方」について。いつもの作業の復習だったが、安全・快適を見直すよい機会となった。

  「病院で待たされ続けて疲れた」という割には、佐藤さんはお元気そうだった。「皆さんをお待たせしているので焦りました」というマキ子さんは、病院の混みようにうんざり顔でした。それでも「アルツファイマーではなさそう」という問診結果には「油断はできません」といいつつ、ほっとした様子でした。

 5月以来の豊実は猛暑のさなかで、蛇口をひねるとはじめはお湯が出てくる。しかし水は流れている。HPの「水と田んぼ」を読むと、6月の下旬頃は山水を引くパイプが詰まって田んぼに水がこない状態が続いたという。そんな危機一髪の修復作業で佐藤さんは相当体力を消耗されたのではないだろうか。どうか無理をせず、回復に努めていただきたいと思う。

 その夜、3か月ぶりの会食は10名と賑やかだった。「乾杯!」の合唱は、いつしか「佐藤さん、おめでとうございます!」に代わり、お互いの健康をたたえ合う唱和に変わっていった。
 今回、ゲストハウスは修復清掃中で、駅前の旧古田邸を全員が宿とした。冷房率も高く、シャワーも使えて好評でした。

 翌日(8/31)も快晴は続きました。朝食は手づくりパンとサラダ、スープと洋風で、なぜかシャンソンが流れていました。朝飯前の一仕事もなく、ゆったりとした気分で寛ぎました。その後、佐藤さんの案内で旧石夢工房のサロン、スギ林の悠々亭を回り、佐藤賢太郎美術館でティータイムをとりました。すべてが今までにないスローペースでことが運び、快適でした。
 そこへ、Tシャツに短パン、黒ずくめのたくましい男性が現れました。さるNPO法人の女性理事長が佐藤さんに彼を引き合わせるために連れてきたようです。聞けば、日本全国を歩いて巡ること間もなく5回目という御仁だそうです。不思議な人もいるものです。こうして点と点がつながり、新しいコミュニケーションが形成されていく、そんな典型でしょうか。佐藤さんと彼は多くを語るでもなく、眼と眼で頷き合っているようでした。
 かつて豊実は何もないところ、というのが枕詞でした。ここ10年は、過疎ながら諸外国の若者が集まる不思議なアート村であり、これからは我われの遠い祖先である縄文につながるパワースポットとなっていくかもしれません。
 この炎天下にどれだけの人が参加されたか掴めませんが、かなりの人々が広場に集まっていました。郡山の大島さんも友人と一緒に参加されていました。

 縄文広場でのテラコッタつくりは過酷な作業でしたが、皆さん童心に帰ったかのような笑顔で楽しまれていました。