2017.09.16
危険と感受性
佐藤賢太郎 

森林整備をしていることで、私は会員の小宮さん、古田さんと安全対策講習会に参加した。森林で刃物や道具を使い、よく事故は起きている。どうしたら起こらないようにすることができるか、その安全対策の一環であった。大変役立ち、私はこれを今後の生活に生かしていきたいと思った。

 私の生活は危険と何時も隣り合わせであります。例えば、彫刻の制作で道具機械を使います。里山アート展の準備、家のリフォームで屋根に上がりトタンを張り替える。森林整備などはいつも危険と隣り合わせである。

安全対策の講師は、「事故は起こる。しかし運が悪いとか偶然はない」と言っていた。これまで私は怪我をしてきました。それでも決定的な障害に至らなかったことは実にありがたいと思う。

この講習会で講師の印象に残った言葉は、森林の効果について、そしていつもチエンソー、のこぎり、ナタなどの刃物は切れるようにしておくこと、自分の仲間の体調は万全なのか確認、指先呼称声を出すこと、熱中症に注意、危険を察知する訓練などなど。これは体験学習の生徒の指導にもなり、自分に言い聞かせることでもあります。

怪我をしないために、いつも危険を避け、安全なところにいればいいかというとそうではないと思った。それでは人間のもって生まれた感性が磨かれない。危険を察知する神経を眠った状態にしてしまうと思った。それは、動物的な勘とでもいうのかも知れない。

指先呼称声を出す、このことは普段から訓練しておくことが大切である。相手がいて仕事をするなら、尚さら返事をする必要がある。 

私は生徒と仕事をしていることが多い。解っているかいないか、やる気があるのか、無いのかの確認にもなる。私は返事をしなさいといつも言う。それを高圧的と思うのは危険と対面していないからだと思う。 

怪我をしてからでは遅い。言葉によって緊張感が生まれる。それは信頼。人間関係にも関係してくる。タイトルで危険と感受性と言いましたが、怪我を避けるには言葉で全てを説明できないところがあり、個人の感受性によるものもあると思っている。

話を変えてみますと、里山アート展の作品つくりは感性を磨くチャンスだとも言える。何でも無いものを作品にする、それは感性を養うときかもしれない。感受性を眠らせない努力をする方が、感動ある生き方のできる人ではないかと思った。