2013.0.24
「佐藤賢太郎講演会」余話
森 紘一 

 大倉山記念館のホールは正面の左右に大きな丸い柱が上までのびている。斗(ます)と肘木(ひじき)で天井へと続く上部の木組みが重厚で美しい。こんなところにも、日本的な美意識が込められているようだ。プロジェクターを使うため照明を落とした会場は、終始おだやかな空気が流れていた。佐藤さんのジョークには、時折笑い声も聞かれた。 

 「創造に生きる」と題された佐藤さんの講演は、コスモ夢舞台、ギリシャへの夢、ガンとの闘いの3部構成で、予定通り滞りなく終了した。会場の皆さんのあたたかい拍手に包まれて、佐藤さんの表情にも安堵の笑みがこぼれていた。 

 何人かの方々が、感想やら質問で挙手をされた。千葉からお出でになったという女性は昨年秋、豊実の里山アート展会場に出向き、「和彩館」に投宿され、マキ子さんの玄米菜食マクロビオテック料理を味わったという。以来、体調がすこぶる良いと体験を愉しげに語っていた。 

 大倉山駅を出て右手に、記念館への道標となっている彫刻が設置されている。佐藤さんの作品と勘違いされた方が、「完成までにどのくらい、日数がかかったのでしょう?」と質問された。これには、「残念ながら、私の作品ではありません」と佐藤さんも苦笑いだった

 調べてみると、今から25年前(1988)アテネのエルム通りと大倉山のエルム通り商店街が姉妹提携した記念に建てられた『不滅への飛翔』(ミケの像の翼と神殿の柱を象った作品)で、制作は宮崎邦英氏と東京芸大の学生との共作であった。

 佐藤さんの作品がエルム通り商店街を飾る日が、やがて来るかもしれない。これもまた、楽しみな夢である。 

 小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)がこよなく愛した日本とギリシャの共通点を訊ねる声もあった。「3年たっても返事が来ない。ギリシャ人の心は、よく分かりません」。佐藤さんの率直な答えには実感がこもっていた。

 しかし、小泉八雲のひ孫にあたる小泉 凡氏(島根県立大学短期大学部教授)が日本ギリシャ協会の会報(2011年12月号)に寄せたコラムに、格好の答えがあった。

 “ギリシャに生まれ、54歳で日本の土に眠ったラフカディオ・ハーンは、1854年(安政1)12月の安政南海地震の際に、庄屋の浜口梧陵が高台に村人を避難させ、人的被害を最小限にとどめた実話を物語化した「生き神」を執筆しました。この作品の中で‘Tsunami’という言葉をはじめて世界に紹介しています。 

また、八雲は1894年の熊本での講演「極東の将来」や神戸の新聞に執筆した「地震と国民性」の中で、日本人の自然災害からの回復力と忍耐力、自然に対抗するというよりは共生するという生活態度を高く評価し、未来の日本人が無計画な森林伐採などせず、シンプルライフを維持して自然への畏怖の念を持ち続けることが大切だと説いています。東日本大震災を体験した日本のこれからの方向性は、はからずも八雲が120年前に予言した「共生」や「シンプルライフ」のモードへと進み始めています。 

 さらに八雲は、「日本人の魂は、自然と人生を楽しく愛すると言う点で、誰の目にも明らかなほど古代ギリシャ人の精神に似通っている」と語っています。“ 

 佐藤さんの講演『「創造に生きる」〜ギリシャとの絆・人、自然との共生〜』は、まさに小泉八雲に呼応した見事なタイトルでもあった。