2014.02.19
その夜と翌朝
森 紘一 

「雪蛍祭り」の撤収は、午後7時頃から1時間足らずで終了。その後、駅前の豊実会館で打ち上げ会があり、佐藤さん、古田さんと出席した。新潟大学の学生は、1年生も数名が出席。「参加して良かったです」「感動しました」という彼らには、これからも先輩たちの意志を継いで、地域社会とのつながりを大事に育ててもらいたいと思う。 

学生たちがバスでひき上げた午後9時頃からは、初めてのことだが「わげしょの会」幹部とコスモ夢舞台だけの親睦会が続けられていった。

「お疲れさま」「お世話になりました」から始まって、「賄いを担当した女性陣に、きちんとお礼を言うべきだったね」という反省の弁もあった。その後、「社会に貢献できる仕事がしたい」「他人に認められるようなことをしたい」「好きな人ができたので、この人のために頑張りたい」など本音が出始め、「しあわせとは何だろう」「生きがいとは何か」を語り合う貴重な交流の場となっていった。 

ところで、「豊実に来ると元気になる」という声を会員以外の方からも聞くことがある。確かに、「里山アート展」は関係各方面から助成金をいただき、会場周辺はビオトープも整備され自然環境は整ってきた。コスモ夢舞台そのものは霊験あらたかなパワースポットではないし、特別のご利益をいただける場所ではないが、清浄な大気に心と体が反応してしまうのだろう。

よく、地元の人びとは「豊実は過疎の集落で産業もない。あるのは豊かな自然と素朴な暮らしだけ」という。しかし、この環境と暮らしのテンポこそ魅力の源泉であり、都会人に元気を蘇らせる基であることを地元の人びとは気付いていないのかもしれない。  

地震や津波による災害、今回のような大雪による交通遮断は、負の連想を広げてしまう。極端にいえば、電気、ガス、水道に頼り切らない生活が、これからの理想的なライフスタイルということになりそうなだけに、我われも、これを機会に「わけじょの会」の皆さんと情報交換を重ね、さまざまな“新しい提案”を豊実から発信していけたらと思うのです。「しあわせ」や「生きがい」論は、そんなことを真剣に考える機会にもなりました。 

一夜明けて翌朝、滔々亭の壁画を見学した。ここはすでに瞑想室に転じている。壁面には“色即是空”“空即是色”の八文字が書かれていた。目の前を流れる阿賀野川も滔々亭の宇宙空間の一部なのかと錯覚してしまう。ブルーに染められた石釜に火が入った時、多分、魂入れの儀式にも似た石釜で焼かれたピザやパンは、さてどんな味がするだろう。 

次に母屋の襖絵、寝室や風呂場、トイレの壁画を案内していただいた。ホームページの写真よりはるかに迫力があり、古田さんと圧倒されてしまった。佐藤さんのお母さんが「きれいになってよかった」と喜んでいるそうだが、アートのある暮らしは楽しい。

ガウディの家のように、まるごと佐藤画伯の母屋は美術館である。

 「アートで何ができるか?」を問い続けるコスモ夢舞台は、里山アート展で、循環・再生・創造をテーマに展開してきたわけだが、第11回目となる今年から「アートと生活」をテーマにすると佐藤さんからお聞きした。「里山アート展」の第二ステージがいよいよ楽しみになってきた。 

 その後、帰りの汽車の時刻まで、佐藤さんとマキ子さん、古田さんと四人で母屋の炬燵を囲んでよもやま話に花が咲いた。

「豊実で、若者が定着できる地場産業はないだろうか」

「林業はどうだろう?」

「広島や高知では、木材の木屑を加工してチップ材の燃料をつくり、販売を軌道に乗せている会社があるそうだ」

「そういえば、この辺りでもつくっている人がいる」

「大きなブリキ缶を利用した軽便な手づくりストーブも、人気らしい」

「情報を集めて、少し研究してみたいですね」

 と云った具合に、話はどんどん膨らんでいった。 

コスモ夢舞台もNPO法人となって5年目に入る。里山アート展の助成金に頼った運営も見直しを迫られている。何か独自の収益事業を考えなければいけない時期ではある。折にふれ、機会をみて、次なる挑戦を皆さんで一緒に考えていきたいと思う。 

思えば、今回の一泊二日の旅は実に有意義であった。楽しい思い出とともに、佐藤さんとコスモ夢舞台をとりまく我われの明日の課題が、凝縮されて鮮明に浮き上がってきた。帰路は順調に列車も動き、遅延することもなく横浜に戻ることができた。