2012.09.20
田んぼ夢舞台公園作業
佐藤賢太郎

 9月15、16、17日、田んぼ夢舞台公園の完成を目指して会員有志が豊実に集まった。

その中で、本当に久しぶりでお出でになった77歳になる成田さんの元気ぶりには驚かされた。73歳の大野さんが、「成田さんに疲れたと言ってもらわないと参ってしまう」といった調子であった。 

夜、明日の作業はこうしようと段取りの話もするのである。こんな元気に前向きの話が出るのは久しぶりで、私も大野さんも嬉しかった。

そして、久しぶりの海江田さん古田さんも元気でその話に乗る。何と言っても海江田さんは、台所の皿洗いをせっせとするその働きぶりに変化を感じた。家内は大助かりで、大変喜んだ。成田さんは、「おれなんか、おかずを作らされる」と笑っていた。酒は早く打ち上げ、私が「終わりにしましょう」というと石夢工房にさっと引き上げる。今まではこんなことはなかった。古田さんは、これからの人生の希望を見つけたようであり嬉しいです。彼はコスモ夢舞台のために大きな看板を5枚も掘ってくださったという。このことからもその情熱を感じます。

ともかく食事を作ってくれる仕事はすごいことであり、今日まで家内が裏方でしていることは、外の仕事にも引けを取らないと思う昨今である。その意味では渡辺美紀さんが主婦でありながら家を空け、コスモ夢舞台に駆けつけてくれるその心は、言葉ではうまく表現できないが大きな精神的エネルギーを感じている。

 16日は、下越酒造の社長佐藤俊一さんが酒や梨のおみやげを持ってお出くださり、作業に加わった。桐山士郎さんと枕木の階段つくりをしていただいた。日頃したことのない作業、しかも炎天下であり、相当つらかったと思う。社長さんは昼食後ぐったり椅子に寄りかかり寝ていたにもかかわらず、午後も元気に作業に加わっていただいていた。阿賀町の名士である方が、こうして参加していただいたことはとても嬉しいことであった。そこに価値を見いだせなかったら、到底そこまではできないだろう。

桐山さんも会社の忙しい中を抜けて、ここに参加してくださっていました。その真の汗に、感謝はこの上ありません。そして、佐藤俊一社長さんの体を気遣っていらっしゃいました。

 地元と言えば、汗だくになりながら参加している山口啓治君の存在は貴重である。地元の方に、どうして仲間がこんなことができるのか、その人間像や夢を創る、その精神を知っていただくことは嬉しい限りであります。体を動かして彼はやがて夢をもつ生き方を伝える存在となるだろうと期待している。

ところで、年齢を感じるようになったとはいえ大野さんは里山アート展に出品する安部さんの竹材料を集めに郡山にトッラクで出掛け、その後、組み立ての指導に当たってくださった。言うまでもなく大がかりな仕事である。作家だけではできないことを、私を含めてこうして応援していただく貴重な存在である。こうして第9回里山アート展も開催できる運びとなります。

一番遠く横浜からお出でになる森紘一さんは、いつも仲間の飲むワインを届けてくださいます。彼には、到着するなり草むしりをしていただきました。コスモ夢舞台の精神を深く理解していただいていますが、従来の仕事との違いもあり、近年少し肉体的にきつそうに感じられます。来年、横浜での私の講演を企画してくださっていますが、机上だけでなく体を使いコスモ夢舞台の精神を広める存在になっています。

草むしりと言えば、年長の時崎庸二さんは足をつりながら草むしりをしていただきました。公私にわたりお世話になっている方であります。出会いから今日まで、なくてならない存在であり、不思議な組合せであります。

また、新潟市在住の小宮和巳さんは会場全体の草刈り担当をしていただきました。彼は肉体的にいかにもつらそうに見え、気の毒なくらいです。しかし、粘り強く精一杯頑張っています。

17日は森英夫さんと大塚秀夫さんが到着。早速、草刈り、砂利運びと汗にまみれながら作業に入っていただきました。森英夫さんはのっぴきならない急用があり、日帰りになりました。私は来なくてもいいとは言いませんでした。肌で感じとって頂くことが、友人としてとても大切だと思うからです。

   大塚秀夫さんは、翌日残って里山アート展の作品つくりをされました。里山アート展参加の見本となるでしょう。ともかく、こうして最後の全員参加となりました。後は9月26日に生コンミキサーとポンプ車を頼み、道つくりの仕上げを大野さんと行います。