2008.09.17
「ありがとう!」の連鎖
森紘一

9月13日(土)曇り時々小雨
 連休の初日だったが、7時に東川口駅で待ち合わせしてから4時間弱で豊実に到着した。森幹事長、大塚さん、御沓さんと東北道、磐越道を走った。白く揺れるススキの穂と色鮮やかなコスモス、次第に広がる田んぼの黄金色は、豊かな自然の初秋の風景だった。

 一ヵ月後に迫った里山アート展の会場づくりとNPO法人化にむけての下打ち合わせなどが、今回の主目的だった。体験学習で逗留していた鈴木さんは昨日戻り、マキ子さんが笑顔で我われを迎えてくれた。賢太郎さんと大野さんは会場で作業中の様子だった。

 明日(14日)は、間地さんの制作手伝いを我われも佐治さんと進めることになっている。15日に津川で開かれるパンつくりの講習会に駆けつける渡辺さん、大野夫人とお友達は14日の午前中に、午後には海江田夫妻も到着予定だという。賑やかな週末になりそうである。

 そろって昼食後、大沢畑の草刈から作業開始となった。アート展会場から阿賀野川沿いに続く小径は刈りこんであるものの道幅は狭く、陸橋下から川面につながる大沢畑はうっそうたる葦のジャングルと化していた。5月にみんなで植えこんだ紫陽花がどこにあるか分からないほどだった。 

 桃源の湯にのばした下屋の壁面は、野沢の叔父さんからはじまって体験学習の生徒まで、何人もの手を経て半分近く煉瓦が積み上げられていた。「タテヨコまっすぐでない方が、かえって味がある」。棟梁ではないが、多少のゆがみや少々の凹凸は気にせず、我われも煉瓦積みを楽しんだ。くすんだ赤褐色の壁面には中世ヨーロッパ風の趣がある。完成すれば、これも見事な共同作品といえそうだ。

 ひと風呂浴びて、和彩館のテーブルで乾杯がはじまった。ほどなく、藤野さん夫妻もみえて楽しい会食となった。賢太郎さんの概況説明によると、「今年の里山アート展は、お陰さまでプロ作家の出展も増え盛況になった。その分、会場の整備と制作協力には人手が大勢必要で、皆さんに集まっていただきありがたい」ということだった。同時に、制作作家やお手伝いの人びとの宿泊と食事の世話をするマキ子さんへの労いの言葉にも感謝の気持ちがこもっていた。

一段落したところで、「これから、皆さんにお話があります」とあらたまった賢太郎さんから書類が2点配られた。「いままで、里山アート展やシンポジウムなどのイベントはコスモ夢舞台の実行委員会が実施してきました。これをさらに維持・発展させていくには、コスモ夢舞台がNPO法人として認可を受け、広く支援者や協賛者に呼び掛けていく方法がよさそうなので、その検討・準備に入りたいと思います」。ひき続き賢太郎さんから、設立の趣旨書文案とNPO法人としての定款の役員人事案などが補足説明された。

 一人ひとりの感想や意見を集約し、賛否を採ったわけではないが、賢太郎さんの提案内容に沿って準備を進めていくことで合意は形成された。御沓さんとわたしも事務局として、年内の設立準備総会をめざして積極的に駒を進めていくことにしたい。

9月14日(日)晴れ
 朝飯前のひと仕事で、英夫さんの作品「縦型ピアノ」を大沢畑から赤い船渡大橋の陸橋下まで運んだ。キャタピラー付きの小型運搬車は相変わらずの働き者である。すぐ横には、阿賀野川をバックに50本の青竹を組んだという篠田さんの力作も設置されていた。

 子どもたちの体験学習では定番の食膳唱和の前文は、大人の部では省略だが、「いただきます!」の合掌は子どもたちと同様である。和彩館に響きあう心のつながりは、まさに“天地一切の恵みと、これをつくられた人々のご苦労への感謝”である。和彩館の円卓をぐるりと囲む大勢での食事は、なぜか不思議と食が進む。

 アート展会場の一番奥が間地さんの作品設置場所である。2段に積んだ左右2組の鉄パイプの足場をさらに外側から丸太を組んで四方から固定し、作品を支える黒い丸太を前後左右から組んで上からハ−ト型のオブジェを吊るすという構想だという。念入りに時間をかけたとおもわれる佐治さんが手にした図面からも大作ぶりがうかがえる。

 大野さんの指導で、我われも全員で足場つくりに参加した。昨日とは打って変わった秋晴れに、真夏のような汗を流した。初回から今年まで、連続で作品参加されている佐治さんと間地さんには、我われも感謝あるのみだ。さらに、地元の小学校全校生徒とコラボされる佐治さんの作品つくりの発想と熱意には、我われも「ありがたいなぁ」と大いに刺激を受けている。間地さん、佐治さんを中心に英夫さんと大塚さん、午後からは地元のお助けマンFさんも加勢に入り作業は続けられた。

 一方、桃源の湯の煉瓦積みも、御沓さんとわたしの組に午後から海江田さんが加わり、かなりピッチが上がった。

 それぞれに、桃源の湯でさっぱりして和彩館に集まった男組にマキ子さん、間地さん、

渡辺さん、大野夫人とお友達のHさん、海江田夫人と女性陣もそろって、総勢15名の丸テーブルでの会食は壮観だった。乾杯の音頭に続いて、今年の里山アート展とシンポジウムの概要について賢太郎さんから説明があった。

その後、奥会津書房の遠藤さんから届いた小冊子の校正刷りを手に話は佳境に入っていった。座談会に出席できなかったふくろう会員も、全員どこかで紹介しているという。A4判オールカラー32ページの立派な小冊子は、9月下旬には刊行予定だそうだ。      

その出来栄えには、全員が湧いた。EU・ジャパンフェスト日本委員会の古木さんと遠藤編集長のご尽力・ご協力は、本当にありがたいことである。

「コスモ夢舞台」という小冊子は、これから、我われの強力な武器となることは間違いないところである。我われも、コスモ夢舞台の広報誌としての利用価値を十分生かして活用していきたいものである。

誰もがいつになく、旨酒に酔いしれる秋の夜長となった。

9月15日(祝)晴れのち曇り
 昨夜の約束通り6時15分、Fさんは船着き場で船外機を取り付けていた。賢太郎さんと大野さん、英夫さん、大塚さん、海江田さん、御沓さんとわたしの7名は、阿賀野川の対岸にあるFさんのキノコ林へ向かった。菌を埋め込んだ種木の移動は30分とかからなかった。対岸から望む集落の風景は新鮮だった。その後、角神のダムまでモーターボートの往復遊覧を楽しませていただいた。里山アート展会場付近も川風に吹かれながら眺めることができた。酔うこともなく穏やかで快適な早朝の船旅だった。

 朝食まで時間があるということで、賢太郎さんのいう宝探し(?)に出かけた。馬取川の崖ふちには、ここに田圃があったとは想像できない場所だった。公図をもとに探り当てた佐藤家の田圃があったところだという。昔の人びとの米つくりの執念や収穫への苦闘ぶりがしのばれるひと時だった。「自然の摂理から離れて矛盾を抱えたまま繁殖する現代文明は、ますます崩壊の歴史を早めていくことになるのだろうか。」早朝のタイムスリップに漠然とした不安が頭から離れなかった。

 午前から午後にかけて、間地さんの作品つくりのお手伝いには英夫さんと大塚さん、地元のFさんに新潟市内から駆けつけた加藤さんが加わった。3時半すぎ、我われも煉瓦積みを終了して帰り仕度をはじめることになった。

  最後までお手伝いできず残念だったが、帰り際、和彩館に立ち寄られた間地さんから「遅くまでありがとうございました」、と鄭重な挨拶をいただいた。我われも豊実での絆を貴重な体験としてあたためていきたい。心から感謝を込めて「ありがとうございました!」