2008.11.22
今年のフィナーレ
森 紘一

1120日(木)晴れから曇り、のち雪

 東北道の那須高原から須賀川あたりまでは、紅葉を眺ながら快適なドライブが続いた。郡山に近づくにつれて遠くの山並みはかすみ、雪雲が漂いはじめた。磐越道に入ると景色は一変、舞い散る粉雪は次第に大粒にかわり、ハンドルを握る隆雄さんも慎重にならざるを得なかった。

 一ヵ月続いた里山アート展は先週13日で終了。今回は作品の撤収作業をする予定だった。10時半に到着した豊実は、すでに雪国だった。早すぎた雪に除雪車も間に合わず、459号線に埋め込まれた水撒きのスプリンクラーも作動していなかった。

 作業着に着替えて準備はしたものの、雪はその後も降り止まなかった。 
 「これでは作業ができないよ、苗木の植え込みも無理だろうなあ」。残念そうな賢太郎さんの声に、隆雄さんとわたしはほっとした。「早めに温泉にでも行って、たまにはのんびりしましょうよ」。マキ子さんのひと言は天の声だった。

まだ桃源の湯もなく、赤湯まで片道30分かけて通った、建設作業たけなわだったあの頃を思い出す。賢太郎さんとマキ子さんは、その赤湯よりはるかに広い西会津の町営温泉施設「ロータスイン」へ案内してくれた。降りしきる雪の露天風呂は、音もなくゆったりと時が流れていた。隆雄さんとわたしにとって、それはまさに至福の味わいだった。

その夜、湯上りの雪見酒もまた格別の味わいだった。たまたま4人でテーブルを囲んだ一足早い忘年会は、たっぷりと時間があった。今年の反省から来年の課題、将来への展望と内容も豊富で際限がなかった。

「コスモ夢舞台2009」のイベントに関して、“今年の里山アート展のレセプションスタイルは、来年もぜひ継続して、地元との共催による踊りや歌、物販で交流を深めていきたい。”

“ワークショップでアマチュアの関心や参加を高めることは、アートを身近なものとして受けとめてもらう絶好の機会だった。”

“コスモ夢舞台の冊子は好評だったが、来年も視点を変えて図録はつくりたいね。”

“来年の景観つくりは、「田んぼ再発見」というテーマで定着させていきたいと思う。”

“来年は「和彩館」5周年記念として、マキ子さんの推奨する‘歌声喫茶’スタイルの音楽祭をぜひ開催しよう。”

“「コスモ夢舞台で語る」シンポジウムは、来年も古木さんと遠藤さんにお願いして、さらに突っ込んで、これからの生き方や活動を語り合ってはどうだろう。”

 “これからのコスモ夢舞台を考えると、「農と食を考える」シンポジウムはぜひ再開していくべきだ。” といった声が、次々と上がった。

その後、「コスモ夢舞台」のこれからの運営についても話が進んだ。地元の少子高齢化だけでなくふくろう会員も高齢化している。コスモ夢舞台塾の構想にしても労働力の確保にはボランティアスタッフが欠かせない。その若い力の公募を具体的に進めていく必要性が話題となった。地元新潟大学の学生への呼びかけやネットTAMの利用などを考えようということになった。

「コスモ夢舞台」のNPO法人化については、事務量がどの程度になるか、またこれからのコスモ夢舞台活動になくてならないものなのかを見極めながら、準備は進めていこうという確認があった。

目下、「コスモ夢舞台2008」の後援、協賛、助成機関への報告書提出に追われているところだが、来期以降はどうなるかも話題となった。来年度の芸術文化振興基金とトヨタ財団への助成申請は済んでいるが、他企業のメセナ活動や県の文化振興財団の再開も検討していこうということになった。

里山アート展で特集を組んだ「コスモ夢舞台」冊子の出版記念パーティにあれだけの人が集まってくれたことも、再度話題となった。シンポジウムに参加された町長や県議会議員、EU・ジャパンフェスト日本委員会と奥会津書房の皆さんへの感謝も再び三度話題となった。岩室温泉の新潟県私立中高等学校事務研修会や阿賀町主催の社会福祉協議会での賢太郎さんの講演会の反響も印象に残るできごとだった。

コスモ夢舞台実行委員会として、我われもまた地元の人々やご支援くださる方々のご期待にそえるよう結束していかなければと思う。

同時にそれは、ふくろう会、コスモ夢舞台の一員として、我われ自身が代表者・佐藤賢太郎さんへの信頼とそのリーダーシップに期待するところ大であることをあらためて思い知ることでもあった。

11月21日(金)雪、時々みぞれ

 下から伝わるストーブの温もりと湯たんぽを用意してもらったおかげで「和彩館」の二階は、快適な寝床だった。隆雄さんも熟睡されたという。

 母屋前の駐車場スペースと和彩館をつなぐ通路の雪かきが朝一番の仕事だった。外は、長い冬のはじまりを告げる鉛色の重い空が立ち込めていた。石夢工房の下屋にトラックを納めた後は、和彩館の丸テーブルをかたづけて駐車スペースを確保したぐらいが力仕事のすべてだった。今年のフィナーレは、願ってもない贅沢な雪見ツアーだった。