2010.04.21
あるがまま受け入れることの大切さ その2 
大塚 秀夫

29日はオリンピアで自由行動。丸一日を過ごす予定が急遽変更になった。オリンピアで過ごす組、そしてタクシーでクルータの町にいく組と分かれた。私は佐藤さん、塚原さん、荻原さんとタクシーを利用してアマリアーダに行くことになった。

私は佐藤さんが4年前したことと同じことを体験したかった。佐藤さんと4人でビーチをバルキ港まで1時間くらい歩いただろうか。佐藤さんがイオニア海で同じように薄く丸い石を拾いながら歩いた。バルキ港からクルータまでの道のりを歩きながら、19歳から佐藤さんとラグビーをやり、ラグビーから彫刻にと夢中になるもの、打ち込めるものを求めてきた佐藤さん。走馬灯のように過る。まさかギリシャまでご一緒するとは私にとって、夢のようでした。

クルータで再びディノのレストランで昼食をとる。レストランのオーナーであるディノは「すもう、相撲」と日本語で愛きょうたっぷりに笑いながら言う。おなかの突き出たほんとうに相撲取のような体型だ。そこへリオシス夫妻と秘書のバジリスがこられた。地元の新聞3社がゴルゴーナを訪れた記事のコピーをもってきてくれたのだ。

レストランオーナーであるディノ。やさしいこぼれるばかりの笑顔。佐藤さんに再会できたことが余程うれしかったのか。「サトースリーピング」と笑顔を作って、両手を合わせて眠るジェスチャーでみんな大笑いだ。リオスシの奥さんは「サト・サト・サト」と親しみをこめて佐藤さんの名前を連呼する。「何か相手が関心を持つものをお土産に用意するといい」と佐藤さんは言った。佐藤さんは何でもない割りばしを取り出した。見るとほかほか亭と袋に印刷されているのが見える。

佐藤さんは袋から取り出して、割り箸を使い始めた。リオスシの奥さんも割り箸を使う。使い方をジェスチャーと英語でやってみせる。場がすごく盛り上がる。なるほど、こういうものか。うまく料理をつかんで口に運ぶことができると拍手喝さいだ。

リオスシは佐藤さんに「来年アマリアーダで作品を作ってほしい。」と言う。

彼はメモ用紙に自分でデザインしてこんなのを描いて欲しい。右手にオリーブ、左に鳩が止まっている女神の像だ。スケッチには「PEACE」の文字が見えた。

私はたまらなくうれしくなる。

具体的に佐藤さんも意見を交換する。このデザインのオリーブは折れてしまう。できるだけ石の幅を縮めなければいけない。こういうデザインでどうだ。と二人はたがいに英語とスケッチでコミュニケーションをとりながら具体的に決まってきた。

まるで4年前ゴルゴーナのデザインでギリシャ語と英語で苦労されたことが嘘のように決定されていく。

佐藤さんは言う。「家内も収入もないことを覚悟で、やってみたらと言っている。人生はいつ終わるか分からない。だからどうなるか分からないが、挑戦してみたいと今は思う。それには、まず健康第一である。学校の教員を辞めたときのことを思えばできることである。人生死ぬまで夢創りに挑戦してみたい。」

  佐藤さんご夫妻のすべてを受け入れることの凄さを目の当たりに見ることができた。