2010.04.08
ギリシャの正夢 その3 晩餐会
森 紘一

 3月30日(火)、オリンピアを発ちアテネに戻る朝となった。ギリシャ入りして以来、快晴が続いている。朝晩の風は冷たいが、昼間は汗ばむほど暖かい。           

朝食を済ませ8時過ぎにはホテル前にスタンバイした。ここで待てば大丈夫のはずが、お目当ての公共バスに乗り損なってしまった。直線距離で200mほど先の教会前のバス停まで移動して待つことになった。この間、景子女史は忙しくケータイ電話を駆使して問い合わせと確認(?)を繰り返していた。景子女史でなければとてもできない芸当だった。            

お陰さまで、次の中継点でアテネ行きの急行に乗り換える時間には間に合った。今回のツアーは、景子女史の存在が本当に大きい。                   

中継のバスターミナルで乗り換えてからの高速道路は快適だった。ポカポカ陽気に仮眠もとれたし、往きには見そこなったプロポネソス半島とギリシャ本土を結ぶコリントスの切り立った岸壁もよく見ることができた。                                  

アテネのバスターミナルから専用マイクロバスで、再びヘロディオンホテルへ到着したのは2時半だった。網棚に上げた荷物の置き忘れやデモ行進あとの交通渋滞に巻き込まれるという小さなアクシデントはあったものの、終わってみれば順調な公共バスの旅だった。経済危機が噂され、連日のデモで治安も悪いのではないかという心配は杞憂だった。

夕方までの自由時間は、みんなでアテネ市内を散策、買い物をした。今回お世話になった景子女史の所属するマリソル社のオフィスで予約しておいたオリーブ油や石鹸を手に入れることができた(私事ながら、東京のマリソル経由で拙文をギリシャ語に訳していただいた女性にお礼を申し上げることができた)。ここでも、会計担当渡辺さんの手配に抜かりはなかった。

入り組んだ市内の小道は縦横に広がり、レストランや土産物店、オープンカフェや屋台まで立ち並び人通りも多かった。横浜の大倉山と姉妹関係にあるというエルムー通りは、お洒落なブティックや小物ファッション店がひろがる大きなショッピング街だった。

隆雄さんとホテルへ急ぐ道すがら、佐藤さん夫妻が買い物がてら笑顔で散歩しているところに出くわした。豊実ではついぞ見かけない、楽しい光景だった。

今夜はその佐藤さん夫妻を囲んで、ライトアップされたパルテノン神殿を眺望しながら最後の晩餐を楽しもうという計画になっていた。我われが景子女史に案内されて、アクロポリスの丘と対面するレストラン「ディオニソス」に着いたのは7時近かったろうか。まだ外は明るく、全面ガラス張りの窓越しにそびえるオリンポスの丘とパルテノン神殿の全貌は壮大な一大パノラマだった。

幹事長の音頭で乾杯がはじまり、佐藤さんが挨拶に立つ頃になるとパルテノン神殿に薄明かりがともり始めた。あたりが暗くなるとともに浮き上がる黄金の神殿を見つめていると、荘厳な光に吸い込まれ、身も心も洗われていくような錯覚をおぼえる。    

「何か夢のよう。ここにいるだけで幸せです」マキ子さんのつぶやきが耳に残った。

 今回、都合で参加できなかった仲間たちのことが話題に上った。「佐藤賢太郎と行くギリシャツアー」が、今まさに上演中であることに、期せずして参加者の一人ひとりが喜びをかみしめ、感謝を捧げているような、そんな余韻の残る充実した晩餐会となった。

 昨日(29日)アマリアーダでは、リオシス氏から日ギ友好公園に設置する次なる制作オファーが佐藤さんにあったという。具体的なスケッチを描いて、リオシス氏は説明したそうだ。コスモ夢舞台がさらに次の夢に向かっていく、そのきっかけと広がりを、今回の「佐藤賢太郎と行くギリシャツアー」は創出できたのではないだろうか。         

「また、必ずここへ来ます」佐藤さんの力強いひと言も印象的だった。

その後ホテルに戻り、こんどは屋上からアクロポリスの丘を横の角度で眺めながら、星空の下で珈琲タイムを愉しんだ。少々寒かったが、ギリシャの夜は名残がつきなかった。