2009.08.17                     
リトアニア紀行10                   
佐藤賢太郎

私はEU・ジャパンフェスト日本委員会によって、ヨーロッパの方々と付き合う機会をいただきました。地理や気候、食べ物も文化も違い、言葉もあまり通じない、そんな外国人と接すことのなかった私には貴重な体験でありました。

江戸時代には、藩にも村にも運命共同体的な平等意識に近いものがあったと言われています。すなわち、世間に従うことでした。他と異なることを嫌い、同調したがることや、個人的な主張より世間が大事といった気風は、今でも残っています。
   現代と過去との狭間のなかで、私はこれまでに出会った方々と夢舞台つくりをしながら郷里で暮らしています。海外の方が来訪されたり、私が海外を訪ねたりすることもこの田舎に新しい風をもたらしています。

言葉も通じない外国では、運命共同体的な平等意識で居たら一日たりともそこに居られないし、それでは友好な人間関係は成り立たないと感じています。
   私は外国の人びととは、違いを認め合うところからスタートするように心がけています。ヨーロッパの写真家の皆さんとは、深いところで理解し合えたたわけでありませんが、大切なことを共有できると感じました。
   リトアニアのキャスタスさんや、アレクサンドラさんにもそれを感じました。またリトアニア人のお二人には、ギリシャ人とは違う日本人に通じる気質というものも感じました。
   人間は誰でも、慣れたところで暮らすことは居心地が良いし変化は嫌なものです。しかし、古木さんとリトアニアの地で「時には、異空間に自分を置くことが必要だね」と話しました。 

私は外国に行く意義も、そこにあるのだろうと思います。自分を変えるしかないからです。自分で自分を変えることはなかなか難しいことですが、慣れたところに居座っていては進歩も発展もがありません。
   外からの刺激によって、自分をよりよく変える機会を与えられたのだと考える方が良いと思うのです。またこうした体験を通して、欧州文化首都で展開されるさまざまなイベントの意義を、おぼろげながらも私なりに理解することができたと思います。

EU・ジャパンフェスト日本委員会の目的は「地域社会への貢献」や「社会的責任」にかかわる市民やアーチストの国境を越えた活動を支援する、とあります。
   さらに基本方針には、地域住民やアーチストの自立を目指す活動を支援する。価値の定まっていない芸術活動に対して、その立場を認め支援する、とあります。こうしたことは、私やコスモ夢舞台そのものに当てはまるものと感じております。  

EU・ジャパンフェスト日本委員会の高い理念は、私にとっては気軽なものではありませんが、終ってみれば、得るものは大きいものがありました。無名で、小さなコスモ夢舞台の活動に対して目を向けていただき、光を当てていただいたことに感謝いたします。   

思えば、ギリシャの石彫シンポジウムへの参加からはじまって、ヨーロッパの写真家の来訪受け入れ、リトアニア訪問、エレルへイン少女合唱団の受け入れは全て連続していたようであります。

最後にあらためて、今回の貴重な研修機会を与えてくださいましたEU・ジャパンフェスト日本委員会に心から感謝いたします。   

また、仲間に支えられ素早くホームページに掲載できたことにも感謝します。稚拙ではありますが、この「リトアニア紀行11~10」を報告書代わりとさせていただきます。(完)