2010.4.19
リオシスさんとの再会を前に
佐藤賢太郎

いよいよ今旅行のメインイベント、4年ぶりにリオシスさんと再会する日になった。前日会う時刻を通訳の景子さんを通して打ち合わせ、自分達でバスを利用してアマリアーダのパルキ港(私の彫刻が設置されているところ)に行くことにしていた。しかし現地に行って分ったことは、運行されるバスはないとのこと。二転三転して秘書バジリス氏がホテルまで迎えに来てくださることになった。

仲間には「迎えに来るといっても、もしかして自家用車で私だけかも知れないよ」といっておいた。何しろお互いによくわからないことだらけで歓迎会を行うことになっているのであった。バジリス氏が市役所専用の運転手付きの大型バスで迎えに来てくださったときには一同ほっとした。

彼との再会を喜び合い、バスに乗った。彼は結婚したそうで、彼女を紹介してくれた。バスの中で行き違いがわかったのだが、私が教え子と7人くらいで、自前のミニバスでやってくると思っていたらしい。先方にとっては、それが友達と13名で、しかも家内同伴とは予想外のことであったらしい。そんなことが通訳を通じてようやく判明した。

それを聞いていた森英夫さんは「なんだ、相手がいいかけんではなく、佐藤さんがあいまいだったのでは」と言っていた。そうした中でも、ともかく迎えに来てくださったことに感謝しました。こちらは迷惑をかけたことをお詫びするだけだった。

そうはいっても、相手に連絡するのもそんなに簡単ではないのです。帰国してからCDを送り、メールも送りましたが、未だに何の連絡もありません。4年前もこんな調子で意思疎通が取れない中、一ヶ月彼らと過ごしたことだけは確かです。