2009.12.

2022.7.13
池の水
佐藤賢太郎

池の水の前に言いたいのは、「人の痛みは知っておくべきである」ということ。自分がその立場になって、初めて知るのである。

さて、池の水は山から池に注いでおりますか、その水は昔、飲料水として使っていました、雨になると濁り水になるので、結局今は水道水に変更しています。その前は各家庭で手製ポンプを使い、吸い上げていた。それがモーターになった。風呂の水くみは子供の仕事であって、ずいぶん楽になった覚えがある。池の水はホースで各家庭に引いてある。池に張るまでホースがなかったころ、堰を使っていた。父がホースに穴をあけ空気抜けをしたのが原因で、穴から植物の根が張り、狐のしっぽのようにっホースから出てくる始末であった。それをテープでふさぎ、時間がかかった。時が過ぎ、池の水がでない。途中までホースを新しくした。こうして完全とはいかないものの、雨の降りしきる中その作業をした。夏だからできました。縄文の時代、水のあるところに人は住み着いていた。あれから何年変化したであろうか。